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【短編読切:文字の風景⑱】図書館

ここには人がひしめいている。

幼い頃、親と車で2週間に1度、図書館を訪れるのが日課だった。貸出期限の2週間ごと、両手で抱えきれないほどの本を借りては家で読むのが好きだった。読んでいた本は児童書ばかりだったが、いわゆる名作シリーズや絵本より、学校の怪談のような怖い話を好んで借りていた。

怖い話というのは、大人になった今でも人を惹きつけてやまない魅力がある。骨董品市で買った鏡を家に持ち帰ってから、不吉な出来事に見舞われる少女。近所の公園で遊んでいて、池から伸びる手に襲われる少年。トンネルを通る時、おかしな存在に追いかけられる家族…怪奇現象は大体発生事由を持っていて、最後にその土地に長く住む老婆や町長から、過去の悲しい事件を聞かされる。土地の神や祟りにまつわる話も多く、怖い話を読んでいると、自然と社会科学、民俗学、宗教学といった学問の素地が付くのではないかと感じる。

土地というのは不思議だ。地球の総面積はおおよそ5億㎢だが、その上を何万年、何億年もの時間が過ぎ去り、おなじ土地でもその上に両足をつく存在はおびただしいほどに移り変わっていく。どこそこで人が死んだという心霊スポットのいわれをよく聞くが、よくよく考えればだれ一人血を流したことが無い土地を探す方が難しいだろうというのも、こういった話のカウンタートークで耳にタコができるほど聞く話だ。

土地と本は似ているのだ。

手元に置いた1冊の本をじっと眺める。特に図書館の本はそうだ。この本たちはずっと同じ本として存在し続けているが、この本を手に取り、チョコレートのような古本の香りをかぎながらページをめくり、思いを巡らせてきた人間は数多いて、これからも増え続ける。そもそも、本という存在自体も不思議なものだ。本は自ら生まれおちるものではない。人の手によって、誰かの思想が文字という形を取って並び、紙に映し出されて綴じられた存在。本は、もはや人なのだ。喋らない、同じことだけを語り続ける人。

図書館にはいつも静謐な空気が漂っている。
それは人が少ないからではなく、語らぬ人がその空間を埋め尽くしているからなのだ。喋る余地を与えず、ただ誰かの目に留まる瞬間を、膝を抱えて待っている。

目の前の本の表紙にそっと指を落とす。少し古ぼけた布張りの赤い本。左下が黒ずんでいるのは、皆が同じ場所に指をかけ、この表紙を開くからだろう。

そして、私と彼の会話が始まる。

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