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退職前に7年分の人事評価シートを振り返ってみたら夢叶ってた

3月、私は新卒から7年働いた会社を卒業します。4月からはフリーランスになるので、「会社員」ではなくなります。

社会人1年生のころから「会社」のなかで生きてきた私にとって、「会社員でよかったこと」ってなんだろう。ふと思いついたのが、「人事評価シート」の存在でした。

人事評価シートガチ勢

呼び方はさまざまあれど、どの会社にもきっと、人事評価のために目標や結果を記載するシートはあるのではないでしょうか。私はその「人事評価シート」のガチ勢でした。

ガチ勢といっても、「今期の目標達成にこだわる」とか、「最短で昇格を目指す」とかではありません。「会社員」としては本来、そこに本気になるべきだと思うんですが、私が本気だったのはシートのすみっこにある「将来のビジョン」という自由記述欄でした。

会社員1年目、はじめてシートを書くときに、「この欄は自由に書いていいよ」と言われました。プライベートのこと、仕事のこと、人生のこと、ぼんやりした将来を自由に綴っていい欄です。実際に先輩は「東京オリンピックまでに結婚・出産して子どもと一緒に観戦する」と書いていたし、同期は「南の島に移住する」と書いていました。ね?自由でしょう。

私はこの欄を書くのが大好きでした。今期の、今月の目標ではなく、〇年後の夢の話をしていい。それを上司へ共有していい……。なかなか自分の話を自分からできない引っ込み思案な私にとっては、正直な夢や気持ちを会社に伝える数少ない場所だと感じていました。だからこそ、シートを書き始めるときはいつもこの欄から書いていたし、この欄を書くのに土日を費やすようなこともありました。

正直なところ、「将来のビジョン」は査定に関係ないと思います。それより達成率や売上金額で評価が決まります。なので、こんなところに「ガチ」になっても無駄かもしれませんでした。

でも、自分の夢物語を勝手に会社に伝え続けたことによって、たくさん異動させてもらっていろんなことを経験できたり、退職相談するときも非常にスムーズだったり、結果的によい方向に導いていってくれたのではないかと感じています。ちなみに、社長含め管理職全員が私の将来像を知っていたので、だれも退職を引き留めてくれませんでした(笑)。

前置きが長くなりましたが、今回は退職記念として、1年目から7年目までの私が、その時々でどんなことを会社に伝え、どんなふうに変化していったのか、「将来のビジョン」欄を抜粋してその変遷を振り返ってみたいと思います。

1年目

求人広告の営業職として会社員デビューしました。はじめての人事評価シートでは、先輩の見よう見まねで、将来のビジョンを「3年後」と「5年後」に分けて書いた覚えがあります。この「○年後」というフォーマットは7年目になってもずっと使うことになります。

・3年後
社内でいくつかの部署を経験。また、事業統括・技術開発の方とも積極的に関係性を持ち、広告全般に関する基本的な営業スキル、運用スキルを手に入れる。
・5年後
営業→制作→運用まで、幅広い知識とスキルをもった広告マンになったうえで、自身の力で稼ぎ、フリーランスとして食べていける人間になる。

このころから非常に異動意欲の高い新人でした。ただ、ほんとは制作チームに行きたかったのだけど、「未経験の新人は無理だろう」と弱腰になり書いていません。

そして、将来はフリーランスになりたいことを1年目の時点で書いていました。しかし、「なんの」フリーランスになるかはまだ全く見えていませんでした。

2年目

引き続き求人営業をしていました。できることが増えてきて、初めての後輩もできました。

・3年後
社内でリーダー、または同等職級になり、自分だけではなく先輩後輩の営業成績や能力を上げて、会社に影響力をもたらすことができるようになる。
・5年後
フリーランスとして独立。
現在経験している求人広告やWeb広告領域を中心に、販売だけでなくデザインやキャッチコピー、内容もアドバイスできる広告マンになる。また、その際に外注先とも協力していけるリーダーシップや協調性をもつ。

後輩教育をするようになったからか、1年目と比べて「他者」が登場するようになってきましたね。これは興味深い。

このころはリーダーやマネージャーのような管理層になるべきなのか、スキルを突きつめたスペシャリストになるべきなのか、若手ながら悩んでいた記憶があります。このころから「マネージャーになりたい!」と宣言していた同期は、昨年マネージャーになりました。すごいなあ、私は決めきれなかった。

3年目

ついに、念願の異動が叶いました。求人広告営業から、販促広告営業になります。同じ営業でも全くの畑違いで、ちょっと芽生え始めていた自信は完全にへし折られました。先輩の営業にひたすら金魚のフンのように同行する日々でした。一番怒られて、一番学びのあった時期でした。

・3年後
広告制作→営業→運用の流れを一通り理解し、クライアントに合わせた提案ができる、広告のプロを目指す。また、求人営業以外の視点、制作・運用の視点を学び、独立する前に知識、経験の幅を広げる。
・5年後
30歳までにコピーライター・Webライターとして独立。単なる作業者ではなく、クライアントへの広告営業や外注デザイナーへのディレクション等、自ら推進力をもって働きかけることを強みに企業の課題解決を行い、フリーランスとして生計を立てていく。

3年後の目標設定にも、弱腰な姿勢が表れていますね。「広告制作→営業→運用の流れを一通り理解し、クライアントに合わせた提案ができる」については、1年後にはできるようになっててくれ!……と今の自分なら思います(笑)。ちょっと大きなことを言うのがコワくて、手前の目標を書きました。

一方で、「ライター」という言葉が初めて出たのが3年目。ライターへのあこがれは学生時代からあったし、趣味で旅行記も書き始めていたけれど、これまでは具体的に書く勇気がなかったです。3年目に勇気が出たわけではないけれど……「25歳の年なのでそろそろはっきりしなきゃ」と焦りを感じて書きました。

4年目

怒涛の3年目を乗り越えて、ちょっと一人立ちし始めた4年目。引き続き販促広告営業をやっています。

・1年後
会社の全商材でプランニング、提案ができるようになる。また、制作・運用の流れを把握したうえで、適切な社内外の調整を1人で行えるようになる。知見、実績ともにトップ営業マンを目指す。
・3年後
制作に異動し、広告制作について学ぶ。営業で得た知見を活かして、一番営業に近い、営業と制作の架け橋になれるディレクターを目指す。広告面の特徴や傾向に合わせ、プランニングからクリエイティブイメージ、構成案の作成までを一気通貫で手掛けられるようになる。

……ちょっとだけ自信が戻ってきた?でしょうか(笑)。「トップ営業マン」とか、自分のなかで封印してきた言葉を解禁した感じがあります。実は、1年目のとき同期のなかで営業成績トップだったんですよね。こう見えて……。「あのころはよかった」と語られることが多いのでイヤだったんですが、「この部署でも目指していけるかも」と希望を見出し始めました。

そして初めて「制作に異動し」という文言が出てきました。1年目から広告制作がしたいと言い続けていたんですが、「あ~これは評価シートにも書かないと30歳までに叶わないな」と思ったので追加した覚えがあります。

なお、「30歳までには辞める!」と宣言していたこともあり、30歳を過ぎてしまう「5年後」の目標はここからなくなります。

5年目

販促広告営業、3年目に突入しました。結局、私が一番長く在籍したグループとなりました。

・1年後
自身で案件の提案・受注・進行が滞りなくできることはもちろんのこと、得た知識の共有や教育にも尽力し、グループの利益最大化に貢献する。グループ内の現場トップ、大黒柱となるような安定感のある人材になる。
・2年後
プランニングからクリエイティブ、広告運用まで、会社が得意とする「一気通貫」を、自分でも手掛けられるようになる。
・30歳
30歳までにコピーライター・Webライターとして独立。単なる作業者ではなく、クライアントへの広告営業や外注デザイナーへのディレクション等、自ら推進力をもって働きかけることを強みに企業の課題解決を行い、フリーランスとして生計を立てていく。

うわ、「大黒柱」とか「現場トップ」だとか、かましてますね~~~(笑)。あの自信のなかった3年目とはえらい違いだ。任せてもらえる領域もかなり増えました。

また「ライターとして独立」という文言が登場しますが、実際のところ、会社で学んでいることと、「ライター」という仕事は頭のなかでうまく結びついておらず、ぼんやりしたビジョンでした。

6年目

半分異動しました。営業を徐々に引き継ぎながら、自社のサービスサイトの立ち上げ、集客を担当することになりました。

・1年後
「BtoBマーケティングといえば、コンテンツマーケティングといえば(本名)」と社内で想起される存在になる。会社のリソースを使って学べることは学びきる。1サイトを網羅的に担当できるということをよい機会に、自分でPDCAを回し、検証しながら実用的な知見を得る。
・2年後
サイトが軌道に乗る。私が担当せずともサイト運営が機能し、継続的にリード獲得に貢献できる状態にする。
・3年後
営業/マーケ/コンテンツ制作のスキルを活かして独立する。

悩みましたね……。ここでマーケ職に就くということは、30歳までに制作チームには異動できないことだと勝手に思い込んで、もうこれが最後のキャリアだというつもりで書いています。それもあってか、「ライター」という言葉も消えました。消さなくてもいいのにね。

ちなみに「BtoBマーケティングといえば、コンテンツマーケティングといえば(本名)」の部分、達成できなかったなあ。私ではない後輩が完全にそのポジションで大活躍しているので、めちゃくちゃ悔しいです。叶う夢もあれば、叶わない夢もある

7年目

まさかの制作チームに異動できました。最後の最後に来るのかい!!!

しつこく異動したがる扱いづらい社員だったと思います。でも、最後の最後に異動させてくれたのは感謝しかないですね。ほんとにしつこく言えば叶うのか……

・半年後
ディレクターでは一通りの業務を自力でできるようになる。引き続き営業やマーケ分野には勉強会やコンテンツ作成で関わりを持ち続けて、知識の鮮度を落とさない。結果、どこからの質問にも網羅的に答えられる社内で一番の現場ゼネラリストになる。
・1年後
ライターとして独立。会社からディレクター、ライターとして業務委託として仕事をもらえる、必要とされる人材となる。

1年後にフリーランスになる身としては、「制作の仕事(ディレクター)で業務委託として会社に雇ってもらう」というのが分かりやすい目標となりました。「30歳が近づいているのになんもできてない!」と焦っていたところから、スコーンと道筋が見えた感じがしました。

また、6年目あたりから副業ライターを始めたため、はっきり「ライターとして独立」と書けるようになりました。結局、新しい道は自分から動かないと開いていかないものなのかもしれません。

そしてきたる8年目

会社、辞めます。

ライター、やってます。

フリーランス、なります。

今の会社と業務委託、締結します!

気づいたら人事評価シートに書いてきたこと、叶ってました

「有言実行」というけれど、私はいつも、「先に言ってしまうことで退路を断つ作戦」で生きています(笑)。もう逃れられません。

「振り返り」という貴重すぎる時間

好き勝手に将来のビジョンを書いてきた私ですが、ひとりで夢を叶えたわけではありません。何年目の人事評価シートでも、書く前後に必ず上司とコミュニケーションをとる機会がありました。

その機会は「振り返り」と呼ばれ、1ヶ月に1回、上司と1対1で1時間、キャリアについて相談するものです(これは、どの会社にもあるんでしょうか)。

いま悩んでいること、将来について悩んでいること……2時間も3時間もうだうだと話し、時間を取らせてしまったこともありました。ぎゃんぎゃん泣くこともありました。本当に本当に面倒な部下だと思います。でも、そこで私は完全に自己開示することができていたとも思います。話すだけで、目指したい道がちょっとクリアになることもたびたびありました。話したことで、叶った異動希望もありました。

いわゆる「コーチング」というサービスは世の中に多数ありますが、私は知らぬうちに、会社という組織のなかで毎月毎月コーチングを受けていたんじゃないかと思います。しかも、会社ならただ話を聞いてくれるだけじゃなくて、叶えるための道筋を準備してくれることもあります。

「azumiが販促広告営業をやりたいと聞いたから、ぜひうちのチームにほしい」
「マーケティングのチームを作ろうと思うんだけどやってみる?」
「制作の人数が足りてないからずっとやりたいと言っているazumiにお願いしたい」
「退職後も業務委託として入ってくれたら助かる」

……これらはすべて、私の意向を知った上司から提案してくれたことでした。本当に会社はいろんな道を提示してくれました。ありがたい。

今はまだ絵空事でも、人事評価シートにぜんぶ書き、振り返りでぜんぶ話す。これを繰り返すことで、いつの間にか理想の会社員生活を送ることができました。

会社員でよかったし、この会社でよかった。

フリーランスになったら、自分の想いをぶつけまくれる上司もいないし、キャリアを用意してもらえることもないでしょう。だからすごく不安です。ひとりで暗中模索しながらも、できることならたまに、会社の元上司に寄りかからせてもらいながら、なんとか生きていきたいです。会社のみなさん、これからもよろしくお願いします。

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