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【本を年間300冊読もうとした話(山エッセイ)】

本を読むのが好きな子供だったから、本を読むのが好きな大人になった。色々な本を読んでいたがどれだけの量を読んでいるのかは気にしていなかった。

15年くらい前の話だったと思う。

その当時「速読」という言葉が流行っていたのか、色々なところで「速読」の二文字を目にするようになった。たくさん読みたいとか早く読みたいとか考えたこともなかったのであまり興味はわかなかった。

ところがある時どこかで「真の読書家は年間300冊は読む」みたいな一文を目にした。それが妙に鼻についた。「真の」というキーワードが。まるで好きで本を読んでいる人は偽物みたいじゃないか。

それで「じゃあ偽の読書家である自分が年間300冊読んでやろう」と挑戦したことがあった。

当時、すでに働いていたので一日に読める量には限界があった。もちろん本屋で年300冊も本を買うようなお金も置く場所もないので足繁く図書館に通った。

梅雨が明ける頃には「このペースじゃ300冊いかない!」と焦りだして、なるべく薄くて簡単に読めるな本ばかり選びだした。

そればかりか青空文庫に掲載されている短い詩を探して読んで「これも一冊」とカウントするようになった。

夏が終わる頃になってようやく気がついた。
これ何の意味もないなと

それまでずっと本が好きだから本を読んでいたのに、読む数を増やすためだけのスコアアタックをしている。そんな風に読んだ本は全然、印象に残らなかった。

秋が来る前には読んだ本を数えるのは辞めた。気になる本を好きなだけ時間をかけて読むように戻った。

別に「真の読書家」と誰かに思われなくても構わない。本が好きだから読んでいるだけだから。

ところが15 年も経った今、危うく同じミスを繰り返しそうになった。

「今月中にあとx回山に登れば年に50回山に登れるな。年に50回も山に登れたら真の山男じゃないかな」なんて、考えて、過去に読書で同じ失敗をしたことを思い出した。

別に年に何回登ろうが良いじゃないか。
山男だと思われたくて山を登っているわけじゃない。山が好きだから山に登っているだけ。

これからも適当に山に登り続けよう。

色々な場所から富士山を眺めるのが好きだ。


また新しい山に登ります。