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【禁じられた遊び(子育てのこと)】

私は自分を怖がりだと思っている。子供の頃からお化けが怖かったし夜中にひとりでトイレに行くのも怖がった。ファミコンの「さんまの名探偵」のオープニングで、ぶんちんさんが殺されるシーンが怖くてまともに見られなかった。(これは大人になってから見ても怖い)

臆病だったのにそれを認めるのは嫌で、小さな頃からあぶない遊びはやたらとした。命知らずな子供だった兄が危険な遊びばかりして、弟の私も当然のように真似をした。メンテナンス用の小さなハシゴを伝ってマンションの屋上に上がってみたり、階段の踊り場から手摺を乗り越えて外へ飛び降りてみたり。その時は着地に失敗して頭を打ち、血塗れで泣きながら家に帰った。縫われた小さな傷跡はまだ額に残っている。

兄にできるのなら自分にもできるはずだと考えて無茶な遊びについていって、よく怪我をした(そしてよく怒られた)

死ぬほど怒られた思い出のひとつに、山中湖の中程まで流されたことがある。

当時8歳くらいで、親戚の知人がモーターボートを持っていた。どういう知人なのか今では知りようもないが、たぶんバブルの名残だとは思う。相手の顔も名前も覚えていないのに、湖の上をモーターボートが波を切って跳ねるように進む感覚は今でも覚えている。

私の家族と親戚の家族と、あとは幼馴染の家族も一緒にいた。大所帯で、子供だけで七人、八人もいる。救命胴衣をつけて、みんなでボートの上で風を浴びてはキャッキャと騒いで喜んでいた。モーターボートが接岸してスピードを緩めた時、私はうまいこと大人たち全員の目を出し抜いて、救命胴衣をつけたまま湖に飛び込んだ。そのまま水面にぷかぷか浮かんで、力を抜いて浮くにまかせて、湖の波にゆらゆら流されていた。誰かの怒声(たぶん母)に気付いたが、泳げば簡単に岸まで戻れると思っていた。

が、無理だった。風が強かったせいか湖の中程まで私はあっという間に流された。ばしゃばしゃと足を動かして岸へ向かったものの、戻れなかった。

それほど流されていたのに私はまだ楽観していた。救命胴衣があるから絶対に溺れないと思っていた。大人になった今にして考えれば信じられない馬鹿だ。

たまたま通りかかったのか私を見て助けに来てくれたのかわからないが、水上バイクの男性が私を水面から拾い上げて岸まで連れて帰ってくれた。当然、死ぬほど怒られた。

そんなことばかりしでかすので母には「勝手なことをするな」「勝手にどこかへ行くな」と子供の頃は何度も怒られた。母の方では危険な真似ばかりする兄と私がよほどトラウマになったのか、とっくに大人になって娘までいる今になっても「山登りをしている」と言うと「お前は死ぬから絶対に危ない山には行くな」とまで言われる。

子供の頃は、母を心配性なのだと思っていたが大人になった今ではわかる。自分の子供がそんな危険な真似をしていたら怒鳴ってでも止める。

私は娘が産まれたときに「この子があぶない遊びをしようとしたら絶対に止めるぞ」と心に誓った。幸いにして娘は今のところ危険な遊びに一切興味を示さない。ジャングルジムも怖がって登らない。滑り台すら怖いと言う。自分のことは棚にあげて、あぶない真似をしない娘に安心している。命知らずよりは怖がりな方がずっといい。

なにしろ私が山中湖で流された数年後、兄のほうでは海で流されてテトラポットに挟まって助かる事件もあった。私が親なら寿命がいくらあっても足りない。危険な遊びばかりしてきた兄弟が揃ってよく無事に成人できたものだと思う。

静かな山中湖。間違っても流されてはいけない


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また新しい山に登ります。