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【山の素人が、一度は不可能と思った富士山に登る(山エッセイ)】

初めて山に登ったのは十年前、ふたりの友人に誘われて神奈川県の大山に登った。

私は山登りの前日に足を怪我していたが、登る約束をしていたのでやっぱり行かないとも言い出せず、当日は足を引きずりながら登った。山のことを何も知らなかったので地図もコンパスも持たず、服装は乾きにくい綿のシャツにジャージという最悪の組み合わせ。汗を吸ったシャツとジャージは風に吹かれて恐ろしく冷えた。

足の痛みと体力不足でペースが上がらない。友人ふたりに置いて行かれたので、独りで必死に歩く。登山ルートも知らないし地図もないのでどこがゴールなのかもわからない。準備不足の典型的な遭難パターンで、いま思い返すと恐ろしい。見知らぬ人が歩いて行くからアッチが山頂なのだろうと見当をつけて適当に進んだ。本当によく遭難しなかったものだと思う。

山頂に辿り着いた頃にはすでに悪寒と頭痛が止まらなかった。疲れて動けない私を置いて友人ふたりはサッサと下山してしまった。何とか日の沈む前に下山した私は39℃の熱を出して二日ほど寝込んだ。

本当はその年の夏、富士山にも登ると約束をしていた。大山は前哨戦のはずだった。仕事の出張が重なってスケジュール的に富士山に行けないとわかった時、正直にホッとした。大山でさえ過去最悪の苦痛を味わったのに富士山なんて、私にはとても登れないと思った。

「一生に一度は登りたい」と富士山を眺めるたびに考えていたが、大山の経験からいって山に登ることは二度とないし、富士登山は不可能。一生、実現しない。

なんて思っていたのに、大山に登った数年後には再び山へ登るようになった。

多分、大山に登った時に見た富士山が忘れられなかったからだと思う。頭痛と足の痛みに耐え、寒さに震えながら見た富士山。

大山の富士見台。今でも忘れられない景色のひとつ。


「山へ登りたい」という欲求を叶えるために、2019年の夏に独り、高尾山に登った。

初めての高尾山は霧の中で、まだ山の素人だった私は地図も持たず道も調べず、人の行く後をついて歩いてなんとか山頂に辿り着いた。霧がかかり景色も何も見えなかったが、それでも達成感があった。歩き通した充実感、心地よい疲れの多幸感。山の複雑な魔力に惹きつけられる。

毎週のように山へ行くようになり、絶景を眺める高揚感も加わると山登りはやめられなくなった。当然、富士山に登りたいという欲求が再び現れる。

「富士山に登る」というのは、大山で挫折を味わった私からすれば人生の大きな目標だった。一度は諦めたものの、やっぱり捨てきれずに蘇った野望。

一年かけて色々な山に登り続けて体力と筋力を知識をつけた。地図を用意するという当たり前のことを知った。そもそも登山前に道を調べるという当然のことを知った。

大山にも何度もリベンジした。関東登山者の山ベンチマークにして富士登山の練習にもうってつけの塔ノ岳・大倉尾根にも通った。(ヒルに襲われてからは雨の日に登るのはやめた)

2020年の夏、「本当に富士山に登るぞ」と決意を固めた。登山道へのアクセスや山小屋のことを調べた。ところがコロナ禍で山小屋は開かれず、富士山に登るチャンスはなかった。

「一年延期した、今度こそ登る」と決意を新たにした2021年の夏。いざ登ろうとした当日は大雨でスバルラインが通行止め。富士山に近付くチャンスさえなかった。河口湖駅で途方に暮れる。重い荷物を背負って何もせずに引き返す帰り道、ヤケ酒でもしようと河口湖の土産物屋で甲州ワインを買ったが家にコルク抜きがなくて飲めなかった。

2022年、今年が三度目の正直。

予定していた登山当日の天気予報は曇り、スバルラインが通行止めになることもなくスタート地点の富士スバルライン五合目までは辿り着く。

五合目は激しい霧がかかっていた。

ほぼ何も見えない。

ここは夏の富士山。天気予報は当てにならない。
麓が晴れていようか山腹・山頂に雲が掛かるのが当然のような場所。とにかく途中で晴れてさえくれれば。景色が少しでも見られれば。何といっても念願の富士山なのだ。三年越しのチャンスなのだから。ここまで来て景色が見られないのではあまりにも悲しい。

登る前にはいくつも不安があった。体力作りはしてきたものの、本当に自分に登れるのか。高山病にならないだろうか。天候は? 小雨が降ったり止んだりしている。このまま荒れずに持ってくれるだろうか。そもそも、富士山にいる間に晴れ間の景色は見えるのだろうか。

富士山の標高なら途中で雲の上に抜けられるかも知れない。そう信じて深い霧の中を歩き続けた。はじめて自分の意思で高尾山に登った時も、登山道は霧の中だった。あの頃と標高は違うがやることは変わらない。登り始めたなら、登り続けるしかない。

八合目、宿泊予定の山小屋に辿り着いた。

景色は相変わらずの霧の中、雲の上までは行けなかった。

変わらず霧の中

このまま山頂まで晴れなかったら。下山するまでずっと霧の中だったら。悩んだところでどうすることも出来ない。山の天気はコントロールできないし、一生の目標だろうが命懸けの登山だろうが、どんな決意で人が歩いていようが山には関係ない。晴れる日には晴れて、雨は降る日は雨が降る。

とにかく明日を信じるしかない。明日さえ晴れてくれたらご来光も見られるし、下界の景色が一瞬でも見られたらそれで良い。最悪、頂上にさえ辿り着けたら。景色が見られなくても、来年リベンジするという方法もある。残念ではあるけれど。

16時の早い夕食を食べて横になった。
うたた寝をして、トイレに行こうかと外に出たときだった。

景色が一変していた。

雲の上にいた。

ずっと霧の中にいたはずが、いつの間には霧が晴れて雲を抜けていた。ずっとこれが見たかった。標高2,800メートル、これだけの景色はなかなか簡単には見られない。これだけで富士山に来た甲斐がある。感動して、日が沈むまで雲の様子を眺めていた。

「明日も良い景色か見られるかも知れない」という予感は当たり、朝から最高の光景が見られた。

太陽の登る瞬間

夜明けを待ち、ご来光を眺めてから山頂を目指した。

高度3,000メートルを越える高所に居るので、酸素が薄い。ほんの少し歩くだけで息が上がる。ちょっとした登りで動悸が苦しい。喉にフィルターをかけられたかのように息を吸っても肺まで届く酸素が少なく感じる。何度も大げさに深呼吸を繰り返した。

八合目、九合目を過ぎると苦しげに休んで居る人たちをたくさん目にした。私は運良く高度順応がうまくいっていたが、それでも息苦しさは抜けなかった。

立ち止まり振り返っては景色を眺めながら、少しずつ山頂を目指した。

山頂を目指す間、すぐに息切れして肺も苦しいはずなのに、辛くはなかった。標高3,200メートルを超える場所は日本に富士山しかない。この苦しさすら富士山の一部、本当に念願だった富士山にいるのだと思うと、楽しかった。

山頂の鳥居が見えてきた。

富士山頂の、鳥居

ゴールをした、という実感はなかった。

富士山の最高地点である剣ヶ峰まで、ぐるりとお鉢周りをして行かなきゃならない。ピークを踏まなければ本当にゴールしたとは言えない。

富士山の山頂を歩いている間もずっと景色を眺めていた。富士山の登山道から眺める景色はずっと変わらずに退屈だとよく聞く。実際には下界を覆う雲の形が刻一刻と変わっている。太陽の位置によって空の色や雲の色か変わる。どれだけ眺めても見飽きない。

初めて登った大山を、今度は富士山の山頂から眺める。

かすかに見える大山

足元の登山道は赤い。遠くから眺める富士山のイメージは白と青なのに、本当の富士山は赤い山なのだと改めて実感する。

富士山の最高峰、剣ヶ峰に辿り着いた。

剣ヶ峰

本当に日本の最高峰にいる。間違いなく日本の山で一番高い地点にいる。目標としていた場所、富士登山の終着点はここなのだろうか。ここがゴールなのだろうか。

目標としていた富士山に登ったら、私の登山は終わってしまうのではないかと思った。何しろ日本の最高峰、これより高い地点はこの国のどこにもない。きっと山頂がゴールになる。

ところが、ゴールの実感がない。

山頂から景色を眺めても、何枚写真を撮っても、人生の大きな目標のひとつとして掲げていた富士山に登り終えたのだと実感が沸かない。

山頂から別の山が見える。まだ登ったことのない山がたくさんある。他の山から富士山を眺めたらどう見えるのか知りたい。富士山頂まで他のルートを選んだらどれだけ違うのか。天候が変わったら富士山の感じ方は変わるのか。

絶対に登れないと思っていた富士山に登頂した。

安定した天候や高度順応の成功といった運の要素に助けられたのは事実だが、山頂まで歩くための努力を重ねたのは自分自身だ。富士山は目標だったけれど、一生に一度の記念のためじゃない。

一度登った山にも、まだ一度も登ったことのない山にも、二度三度、何度でも登りたい。どれだけ景色を眺めても飽きない。霧の中を歩くのも楽しい。同じ山に何度登っても新しい発見がある。山の素人だった私が惹きつけられた登山の魅力はそういったもののはずだ。

富士山頂で見たのはゴールの景色ではなくて、まだまだ続く道の途中。これから何度も登り続ける山の一度目の景色。富士登山の目標を達成して改めて感じたのは、「きっとこれからも山に登り続ける」













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夏の思い出

また新しい山に登ります。