見出し画像

コンビニよりも多い神社の謎③ 増えていく日本の神々

外国の神様がやって来た

 神道は神様の数が多い宗教です。たくさんの女神と関係を持ち、日本神話で一番のプレイボーイと言われる大国主神だけ、約181神もの子供がいます。なので大国主神の子供だけで、初代ポケ○ンの総数151匹を超えている事になりますね😆 

 すでに日本は神様で溢れている状態なのですが、更に神様が増える出来事がありました。

 それは仏教の伝来です。古事記制定よりも前の5世紀ごろ、朝鮮半島にあった百済(くだら)という国から仏教が日本へ伝わってきました。

 仏教がもたらしたのは、菩薩や如来といった仏様だけではありませんでした。インドで古来から続いているヒンズー教の神様や、中国の神様など、外国の神様も入ってきたのです。

 七福神は有名なので誰でも知っていると思いますが、ほとんどが外国からやって来た神様です。

 それでは、他の七福神の出身地と本名を見ていきましょう。

・大黒天(商売繁盛の神様)
本名はシヴァ。破壊、生殖、創造の神様。元々はインドのヒンズー教の神様。

・弁財天(芸術、芸能、お金の神様)
 本名はサラスヴァティ。五穀豊穣と学問の神様。元々はヒンズー教の神様。

・毘沙門天(勝利の神様)
 本名はクベーラ。財福の神様。元々はヒンズー教の神様。

・布袋(開運の神様)
 本名は契此(かいし)。中国で実在したお坊さん。

・寿老人と福禄寿(長寿、病気治癒)
 元々は同じ神様。南極星の化身で、中国の神様。

 中村光先生の漫画『聖☆おにいさん』の作中でも、七福神のほとんどが外国出身で辛い物が好きだけど、日本出身の恵比須は辛い物が苦手で味覚が合わない、というお話がありました。

画像2

 さらに外国出身の神様は、七福神だけではありません。

 航海安全のご利益がある金比羅神社(こんぴらじんじゃ)を起源とする金比羅権現(こんぴらごんげん)は、ガンジス川に住むワニを神格化させた『クンピーラ』が起源です。 

 五穀豊穣の女神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と、ヒンズー教の神様である荼枳尼天(だきにてん)は、見た目が似ているという理由で、この二神をまとめて稲荷神として祭られています。

 このように神道は外国の神々を受け入れてた事で、更に神様が増えていくのです。

画像1

 京都伏見稲荷大社を総本宮とする稲荷神は、キツネの神様と思われがちだが実は違います。 本来は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)という五穀豊穣を司る女神で、キツネはその使いです。現代社会に例えるなら宇迦之御魂神は経営者で、キツネは従業員みないなものですね😊

神仏習合によって合体した神様と仏様

 日本には元々神道という宗教があったのに、外国の神様や仏教という異なる宗教を受け入れ、国内で広がっていきます。

 世界の歴史を見ると宗教戦争など悲惨な事件が起きているので、異なる2つの宗教が融合するのはかなり珍しい事だと思いますが、これは日本に限った事ではありません。

 仏教が起きたインドでは元々存在していたヒンズー教、バラモン教と融合しました。中国に入ってきても同じ事がおき、元々中国にあった道教と結びついています。このように仏教は、他の宗教と争う事なく上手くやっています。
 なので仏教が日本に入ってきても、土着の宗教である神道と仲良くしてもおかしくないのです。  

 5世紀ごろ入ってきた仏教は、徐々に日本国内へ広がっていくのですが、それと同時に神仏習合という考えも生まれます。

 神仏習合とはいうのは『日本古来の神々と。インドからやって来た仏は、実は同じ存在である』という考え方です。

 この神仏習合がいつ頃から始まったのか、ハッキリとはわかりません。ただ、八幡神の総本宮である大分県の宇佐八幡宮では、仏教が伝来したのと同時期に、修行僧の修行場である求菩提山(くぼてさん)が、中国の僧によって開山されています。なので九州ではかなり古くから、神道と仏教の融合していたと言われています。

 現代では『神道の神社』と『仏教の寺院』は、明確に区別されています。しかし神仏習合の考えが広まっていった中世~近代の間は、これら二つの宗教は完全に混ざりあっており、区別されていませんでした。
 今でも「お寺と神社の違いがわからない」と言う人がいますが、神仏習合の影響なのかもしれませんね。

 神仏習合によって神道と仏教は区別がなくなった為、神社でお経を唱えたり、お寺に鳥居をつけるようになりました。またお寺の境内に鎮守社(ちんじゅしゃ)という神社を建てるようになりました。

画像3

 画像は愛知県豊橋市にある豊川稲荷という場所です。神社のシンボルである鳥居が写っていますが、本当は妙巌寺(みょうごんじ)というお寺であり本尊は千手観音です。現代では少なくなった鳥居があるお寺で、神仏習合時代の姿を残しています。
 何故、お寺なのに稲荷と呼ばれているのかと言うと、境内には稲荷神と同一視された荼枳尼天を祭る鎮守社があるからでらです。ちなみにこの豊川稲荷(妙巌寺)が、いなり寿司発祥の地と言われています。


神宮寺の登場

 神仏習合の影響で、お寺と神社が合体した神宮寺(じんぐうじ)が登場するのですが、なぜこのような建物が生まれたのかお話していきます。

 日本神話の神々は、人間くさくて俗っぽい、という特徴があります。

 日本の神々は人間離れした力を持ち、超常的な能力を持っていますが、子供を生むし、死ぬ事もあります。また愛する相手と死別したため嘆き悲しんだり、夫の浮気に嫉妬したり、怒りに任せて暴れたりします。
 この日本の神々の特徴を仏教的に言えば、人の悩みや苦しみの根本的とされる、四苦八苦(しくはっく)に当てはまります。

 人間くさくて俗っぽい、日本の神々を見たお坊さんは……
「日本の神々って、人間のように輪廻の中で煩悩に苦しんでる。なら日本の神々も仏の教えによって、救われる必要がある!」  
 こう考えるのですが、このような『神々を仏の教えで救う』という思想を、神身離脱説(しんみりだつせつ)と言います。

画像4

四苦八苦とは?
 お釈迦様は『生、死、病、老』の四つの苦しみを四苦といいました。
 この四苦と共に……
・愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)
・怨憎会苦(嫌いな人と会う苦しみ)
・求不得苦(欲しい物が得られない苦しみ)
・五陰盛苦(自分をコントロールできない苦しみ)
 お釈迦様は人間は生まれながら八つの苦しみを背負っていると、言いました。

 神身離脱説を元に、神々の救済を目的とした神宮寺が造られていき、全国に広がっていくのです。しかしこの神宮寺が、後に神社が増える要因になります。

関連記事


AmazonKindleに電子書籍を販売しています!


画像5

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?