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アドラー心理学との出会い

 思い返せば、10年前。まるで見えない力に引き寄せらるかのように、アドラー心理学と出会いました。

 きっかけは本当に些細なことでした。

 しかも、見落としてしまっても、おかしくないほど、出会いはクモの糸のようにか細く、後3秒見つけるのが遅ければ、私はアドラー心理学と出会うことはなかったかもしれません。 

 しかし、そのか細い糸のような出会いは、地獄で苦しむカンダタの前に降りてきたクモの糸のように、暗闇の中で苦しむ私の前に現れた一筋の光でもありました。

 私が20代半ばに差し掛かってたころ、過労と精神的未熟さによってうつ病を、患ってしまいました。
 心療内科に通い、抗うつ剤と睡眠薬を服用する日々が続いていました。

 長いトンネルを進んでいるような、暗い日々が続き、死ぬことばかり考えていたある日、ふと「なぜ人はうつ病になるのか、心理学を勉強してみよう」と思いました。

 心理学の本を読んでみようと思い、調べるためにインターネットを開きました。

 すると、まるで私を導くかのように、アドラー心理学の名書『嫌われる勇気』の広告が目に飛び込んできたのです。

 フロイト、ユングは有名なので知っていましたが、アドラーは知りませんでした。
『嫌われる勇気』が気になった私は早速、電子書籍を購入した覚えがあります

『嫌われる勇気』は、“皮肉屋の青年”と“アドラー心理学を知り尽くした哲学者”との、対話形式で話が進んでいきます。

 シンプルでわかりやすく書かれていながら、私に強い衝撃を与えました。

・アドラー心理学は承認欲求を否定します。しかし私は、常に誰かの承認を求めていました。

・アドラー心理学では“他人の課題”に介入しない『課題の分離』を提唱します。しかし私は、承認欲求を満たすために、他人の課題に介入することばかりしていました。

・アドラー心理学では「人の期待を満たすために生きてはいきない」と説きます。しかし私は、「人の期待を満たすために生きていました」

 そう、私は「承認を求め、他人の目ばかりを気にしていて、自分の人生を生きていなかった」のです。

 だから頼まれても「いや」と言えず、休みを削り、闇雲に働いて膨大な残業をこなしていたのです。(ちゃんと残業代は出ていたので、それが唯一の救いでした)

 しかも、心は常に誰かの承認を求め「他人の目」ばかりを気にしていました。

 だから、会社に言われるがまま無茶な残業していたし、後輩を飲みに誘って、派手にお金を使ったりしました。

 それだけじゃありません。たまたま知り合った女性の借金を肩代わりしたり、悪友の携帯料金を払っていました。
 この行為は、アドラー心理学が否定する「課題の介入」だったのです。

 他人の目を気にして「課題の介入」を行っても、承認欲求は全く満たされません。
 求めても、求めても、満たされない……仏教的に言えば「欲求が満たされない餓鬼道」に、堕ちていたのかもしれません。

 アドラー心理学と出会って、私は不自由な生き方をしていたと、知ることが出来ました。

自分が変われば、人生が変わる

 広告でアドラー心理学を知った日が、人生のターニングポイントとなりました。
 自分の過ちを知り、正すことが出来たからです。

 10年前の自分と比べると、だいぶマシになったとは思いますが、まだまだ未熟な部分があります。

 承認欲求に長く浸かってきた私は、ふと気づくと、「他人の承認」を求めている時があるからです。
 しかし、気付くことができるようになっただけでも、成長したかなとは思います。

 私はまだ、クモの糸を上っている最中なのかも知れません。

 カンダタのように地獄に戻らないように、願いながら生きていきます。

 


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