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人生を変えてくれた一言。

実は、自己紹介で書いていなかった大事なことが2つあります。

  • 20代の頃作曲家であり作曲講師をしていたこと

  • 難聴であり補聴器をつけていること

です。
昔はコンプレックスでしたが今はもうコンプレックスとは思ってないので、書くことに抵抗はありません。
「音楽やってて難聴?」って思った人いると思います。
事実、「耳悪いくせに音楽で飯食えるわけない」という言葉、
何回、何十回、何百回、何人、何十人から言われたか😅

小学生の初めての聴力検査でひっかかり、あらゆる病院を回りましたが原因不明、謎の難聴になっていました。
大人になって15年ぶりくらいに某大学病院に行くと、感音性難聴の一種だ
と判明しました。治る方法はありません。

そんな自分ですが幼いころから音楽が好きすぎて、物心ついた時から自分で曲を作っていたらしく。
(親が何の音楽?と聞くと、自分で作った!と言っていたそうです)

でも、たまにドとレが同じ音に聞こえるんです。
特に疲れてる時とか。歌うのも、音が把握できないので音痴で下手で。
音を知りたくて、リコーダーとか鍵盤ハーモニカとか、ひたすら泣きながら、ドレミファソラシドを弾いてた小学時代。
絶対音感は無いですが、おかげで頭の中で音を把握できました。

しかし、自分が小中学生だった頃、補聴器付けてる人とかホント見かけませんでした。
耳が悪いだけで「つんぼ」とか言われていじめられる時代。
耳が悪いとバレると、その日を境に距離をおかれた時代。
「ギターをやりたい」と言っても「つんぼのお前が?」とか言われたり、「耳悪いのがうつる」とか言われたり。
「将来の夢、音楽のプロになりたい」と言っても「耳聴こえないお前がなれるわけがない」と色んな人から言われたのは今でも忘れません。親でさえそう言ってましたから。

だから、誰も信じなくなりました。
絶対プロになって見返してやるって。
ホントに漫画のように、心の中に憎しみとか悔しさとかの炎がメラメラと燃えてる感じ。
高校の時なんて、授業中に教科書に楽典や音楽の本を重ねてひらすら読んでたのを覚えてます。

高校でバンドを組む機会に恵まれ、音楽に優れた人との出会いに恵まれ、
バンドでデモテープを作って売ってました。
あの当時はまだカセットテープのデモテープ時代、よくMTRでバンドメンバーが一人一人録音してました。
雑誌でデモテ販売をして全国にファンになってくれる子もできて、自分が作る曲はとてもメロディアスちっくでキャッチーな曲が多かったので、その流れで曲を提供してほしいという女性アーティストの人も出てきて、

「プロの道が開けてきた!?」

とか思いましが、アーティストやバンドならともかく、作曲家のプロってどうやってなるねん!!と(笑)
(当時携帯もまだ学生が持てる時代ではなく、ネットも全然やってる人いなくて、雑誌や文通、ポケベルの時代でした)

そんなある時、曲を提供した女の子の父親がプロのミュージシャンで、
「この曲誰が書いたの?」
って目に留まってくれて、それをきっかけに某所の作曲家のオーディションを受けることになりました。
その時の一番の壁が親だったのを覚えてます。

応募したデモテープの審査が受かって東京に行かないといけないのに、学生な自分は足がない。
親にそれを言っても、
「耳が悪いお前がプロなんてなれるわけがない」
の一点張りで、2次審査は棄権するしかない感じでした。
(一人で東京行くとか言っても行かせてもらえないので)

だから、夢を絶たれた自分は、こんな耳を持って生まれた自分が許せなくて、自分を殴りまくり、壁を殴りまくり、血まみれになったあとに自殺しようと思って首をつりました。

その時に親と、付き合っていた彼女に発見されて一命を取り留めました。
ここまで覚悟をしていたことを親が知り、2次審査を受けることができました。

さて、面接です。
耳が悪いことを言うべきか、隠すべきか。
何日も何日も考え続けました。
バイトの面接でも「聴力が悪い」と言った瞬間顔が変わって落とされたこともあるので、音楽にとって絶対切れない「聴力」のことを言うなんて、自分の中ではほぼ100%落とされると思ってました。

難聴であることを黙っていれば、音楽を仕事にするならば絶対バレる時は来ると思ったので、ちゃんと言うことにしました。
もし受かって、後から「実は…」というなんて、裏切り行為だと自分は思いましたので。
聴力が原因で落とされてしまっても、こればかりは仕方ありません。
バイトの面接でもそうでしたが、マイナスにしかならないものを進んで採用してくれるなんて、会社側にとってはメリットがないなと。

面接をしてくれたプロデューサーに伝えました。
「あ、難聴なんですね、なるほど」
と言った時、腕を組んで、「んー」とちょっと考え込む顔になったのは忘れません。

あー、落とされるか。

ってホント思いました。
でも、Pから出た言葉は。

「それって悪いことかな?」

でした。

「障害を持ってることをちゃんと言ってくれてありがとう。
多分あずみんさんはそれを悪いことだと思って言ってくれたと思うんだけど、それは決して悪いことじゃない。
障害を持ってる人は、何も障害もなく過ごす人よりも大きなハンデがあって、それでも毎日そのハンデに負けずに頑張って、すごい這い上がる力があると思う。
あずみんさんは今まで、僕には想像もできないくらい、大変な日を頑張ってきたんだと思う。
それって悪いことじゃなくて、逆に本当にすごいことだから」

そんな感じのことを言ってくれて、
もう、涙もこらえて歯を食いしばって今まで頑張ってきた糸が一気に切れて、
Pの前で号泣しました。
これは今も、書いている今でさえも、思い出すと涙が出てしまうほど、自分にとっては衝撃で、初めて認められた気がして、今までやってきたことが間違いじゃなかったと、死に物狂いでやってきた努力が実ったと、涙をいくら止めようとしても止まりませんでした。

Pはベートーベンを尊敬しているらしく、
ベートーベンは音が聞こえなくなったも、歯で音鳴らして骨に響かせて、その振動で曲を書いていると。
そして今でもピアノには歯形が残っていると。

耳が聞こえない人でもそんなに素晴らしい曲を書くことができるから、あずみんさんは悲観せずに聞こえることに自信を持って音楽に挑んでほしい、
ということで、採用されました。

その後、聴力が悪化する一方で、明日にも完全に聞こえなくなるかもしれないと医者に言われて、これから生まれてくる子供のために、子供の声も聞きたかったので、何か月も悩んで悩んで悩んだ末に音楽と決別してしまいましたが、あの時Pから言われた言葉は今でも一瞬でも忘れたことがありません。

なので、座右の銘は、「努力に勝る天才なし」です。
長文読んでくださりありがとうございました。




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