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【座右の銘を教えてください】「I’m grown woman, I can do whatever I want」(40 歳・コミュニティ運営に特化したライター)

【本企画の趣旨について】
この企画は、私、あじしおが、見ず知らずの人にインタビューをし、その人の人生を根掘り葉掘り聞きながら、「座右の銘」を教えてもらうというものです。

■コミュニティ運営に特化したライター

※以下「あ」=あじしお(インタビュアー)

あ:本日はよろしくおねがいいたします。

こちらこそよろしくおねがいいたします。

あ:現在のお仕事はライターさんとのことですが、事前情報で、気になる部分がありました。「ライター」のうしろにカッコ書きで「コミュニティの運営支援,広報支援 / 社内報など、コミュニティ活性化に関わる発信業務」とあります。どういうお仕事でしょうか。

そうですね。おそらく、世間一般の人が思うライターと、僕がやっているライターは若干違っていると思っています。

あ:どんなところが一般的なライターさんと違うんでしょう。

元々、飲食の仕事を長くやっていたんです。お店にスタッフがたくさんいたので、スタッフをまとめるためにお店の新聞をつくったりとか、スタッフがバラバラだとダメなので、スタッフ一人一人と面談をしたりだとか、お店を一つにまとめて盛り上げるっていう仕事をしていました。

あ:マネージャー的な役割ですかね?

そうですね。そんなことを周りの人に言っていたら、その経験を元に、会社の広報誌、社内報を作ってほしいという依頼に繋がって、徐々にライターっぽい仕事をし始めたんです。

あ:前職のご経験が活きましたね。

そんなことを続けていたら、今度は、「コミュニティを立ち上げるので事務局になってもらいたい」とか「コミュニティの広報とか、細かい作業を手伝ってほしい」とか言われるようになりました。「書く仕事をしている」と言えば、それはそれで間違いないんですけど、「コミュニティの活性化」について丸ごと相談に乗る、あるいは手伝う。これが僕の仕事ですね。

あ:コミュニティにも色々ありますよね。実際に中森さんが運営支援をする「コミュニティ」っていうのは、どんなコミュニティなんですか?

例えば、キングコングの西野さんがやっているような「オンラインサークル」もあれば、「ビジネス交流会」、あるいは「勉強コミュニティ」なんかもありますね。それらのコミュニティの運営のお手伝いをしています。どんなコミュニティを立ち上げて、何でお困りかは、千差万別ですね。

あ:ビジネス交流会はサラリーマン時代に参加したこともあり、分かります!あ〜、なんとなくイメージ湧いてきました。コミュニティに属しながら文章を書くライター的な業務もあれば、コミュニティ運営に関わることであれば全方位的に運営支援の業務もしている、そんな感じであっていますか?

バッチリですよ!逆に、ランサーズとかクラウドワークスとかでよく見る「1文字いくら」みたいなライター活動はあまりしていません。「コミュニティ、社内、組織を運営したい人、まとめたい人」そういった方から相談を頂き、それが結果としてそのコミュニティの活動を発信するために「書く仕事」になることもあれば、それ以外の業務をすることもあります。

あ:「コミュニティ運営支援」が仕事になるということは、コミュニティ運営は難しいものなんですかね。

コミュニティ運営には数多くの業務があり、運営側は柔軟なバランス感覚が求められます。そんな中で「人集めはうまいけど、細かい業務が苦手な人」、「細かく真面目な事務員タイプではあるけど、メール配信などのテキストでのアウトプットが苦手な人」など能力に偏りがあり、もったいないな…...と思うシーンをよく見てきました。運営側の人間で、バランスよく作業をこなせる人ってそう多くないと思っていて、全体的に手助けが出来る自分は希少価値が高いと思っています。

あ:コミュニティ運営に特化したライターってなかなか珍しい肩書きだとおもうんですけど、始めたきっかけは?

実は、10年間勤めた飲食業を辞めたり、独立してお店を開業したりと、かなり迷走していた時期があったんですね。「自分が何をするか見つけなければならない、でも見つからない。」そんなときに、とある社会人サークルにご縁で参加したんです。そのサークルの主催者が「人集めはすごい得意なんだけど、細かい作業がとにかく苦手」なタイプでした。それを横で見ていて、口を出したくなってしまったんです。「そこまで細かい作業が苦手だったら、ちょっと手伝いましょうか?」と自分から提案してみたんです。

あ:飲食店勤務で、コミュニティを整備、盛り上げていた経験がありますもんね。

そんなわけで、社会人サークルの運営の手伝いを始めました。最初は、Facebookでその社会人サークルのイベントページを作って投稿したり、webのイベント告知サービスを活用して、コミュニティの活動を公開する仕組み作りをしていました。それを続けていると今度は、その社会人サークルに来ている人から「うちの会社のFacebookページを見てくれる?」とか「今度開催するイベントの告知の相談に乗ってほしい」とか言われるようになったんです。

あ:すごい。仕事がどんどん繋がっていきますね。

そうですね。緩やかに仕事が進み初めて、自分の中でも「あ、この路線であればイケるかも」っていう感覚が芽生え始めました。

あ:つまり、仕事になると?

はい。そこで、当初出入りしていた社会人サークルは遊び半分の少し緩めな集まりだったので、もう少し真面目な「ビジネス交流団体」と呼ばれる、参加者同士でビジネスの関係を築く交流会に参加し始めました。

あ:「ビジネス交流団体」っていうのは?

会員制のコミュニティで、毎月定例会があるんです。そこで出会ったメンバー同士で、自分の仕事を紹介したり、助け合えるところは協力しましょうみたいな、そんなコミュティでした。このコミュニティでも、気になって声をかけていただくとか、長く顔を合わせている方から紹介をもらうとか、更に仕事が広がっていきました。

あ:おもしろい……。そうやって仕事、肩書きは形作られていくのか。かなり希少性の高いライターなのではないでしょうか。

現実問題として、コミュニティ運営に困っている人が世の中にどれくらいいるのか、あるいは、可能性とか、市場の意義とかは分かりません。ただ、例えば、経営者の方、管理職の方であれば、会社がコミュニティになり、「会社を盛り上げる、社員の退職率を下げること」がコミュニティ運営の課題になります。他にも、個人でお店のオーナーをされている方であれば、「お客様コミュニティ」を作っていて、そこへの参加率がコミュニティ運営の課題になります。

ビジネス交流会、社会人サークルには、このような経営層の方が多く参加していて、ほとんどと言っていいくらい、何かしらのコミュニティに属しています。そういう状況での僕の活動は、みなさんの興味を引くものになっているのではないかと考えています。

■飲食店時代

あ:ここからは、これまでのキャリアについて教えてください。まず、先程から話が出ている「飲食店」について教えてもらえますか。

ファーストフード店に勤めていました。大学1年のときにアルバイトとして入って、最初は閉店担当をしていたんですね。そこから段々と、他のスタッフに仕事を教えるトレーナー職になり、マネージャー職になり、約10年働きました。10年間のうち、ほとんどはお店の環境整備とかスタッフ管理の業務をしていました。

あ:なるほど。現在、コミュティの運営支援でお仕事が成り立っていることに、すごく納得がいきました。ファーストフード店は、店舗運営のシステムや、スタッフの教育がしっかりしている印象があります。10年間ということは、大学時代のアルバイトから、そのまま就職したんですか?

正確に言うと、10年間のうちの3年弱は紳士服のチェーン店で働いているんです。大学卒業後、紳士服店に就職しました。

あ:ほお〜。紳士服業界は行きたい分野だったんですか?

全然です。今思い返すとダメダメな就職活動でした。僕、人のためなら頑張れるんですけど、自分のために頑張るとか、自分を大切にすることを30代半ばまで全然しなかったんですね。就職活動とか、その前に遡ると、受験とかも同じで、頑張っても頑張らなくても別に変わんなそうだし、頑張っても結果が出なかったら頑張るの無駄じゃないかって思っていたんです。

あ:自分のために頑張れない、ですか。

就職活動もその考えのまま、「接客の仕事だったら自分の経験を活かせそうだな」くらいしか考えてませんでした。それで、接客業務のある会社を10社くらいエントリーして、最初に内定が出たのが紳士服販売の会社でした。今思うと本当にそれで良いのかって思うんですけどね。

あ:いえいえ、新卒の就職って意外とそんなもんじゃないですかね。ちなみに、紳士服店の店員さんって、ちょっと苦手です。絶対話しかけてくるし。笑

そうですね。どこの会社でも体育会系っぽい爽やかなお兄さん、もしくは、元爽やかなお兄さんが話しかけてくると思います。笑

あ:ところで、紳士服店を辞めた理由は?

単純に仕事自体が、自分に合わないと思ったからです。入社して1ヶ月くらいで思ってました。

あ:早いですね。

もう1つは、毎日の変化が全然なかったんですね。来る日も来る日も、商品が入荷してきて、お客様が来たら接客をする。商品が入れ替わるから、それを頑張って販売する。基本的に繰り返しの作業なので、自分の頭で考えるとか、仕事の仕組みを改善するとか、自分の裁量があまり多くなかった点を少しつまらなく感じていました。

あ:あー、そう感じてしまう職場はキツそうですね……。

それと、紳士服が斜陽産業が入りつつある時期で、売上目標が達成出来ないのが当たり前になってました。並行して、簡単には解決できない複雑な問題が起きて、頭の片隅に常にあった辞めたいと思う「種火」が、大きな「炎」となって辞めました。ファーストフード店の方が合ってるなって思ったので、大学時代に勤めていたファーストフード店にマネージャー職として復帰したんです。

あ:ファーストフード店第二章ですね。マネージャー職っていうのは具体的に何をするんですか?

お客さん目線で言うと、アルバイトの人とちょっと違うユニフォームを着て、お店全体を監督している人ですね。事務面でいうと、シフトを作ったり、スタッフ1人1人と面談をしたりします。あとトレーニングですね。トレーニング計画を立てたり、マニュアルを作ったりなど結構色々やりましたね。

あ:そのようなファーストフード店のご活動って現職に活きていると思いますか?

そうですね。自分では当たり前だと思ってやっていた作業が、他の人にしたら「この作業って大変で、めんどくさくて、出来ない」と感じているんだなと後から気づきました。一種の「訓練・トレーニング・スキル開発」を気づかぬ間にしていたんだと思います。

あ:自分がコミュニティ運営支援をお願いする立場だとしたら、実際にファーストフード店で、そういった経験をしていたり、マネージャー職につかれていた人に、お願いしたいですもんね。ところで、マネージャー職をされていたときに気をつけていたこととか、大事にしていた考えってありますか?

僕が入った時期って、新人スタッフにとって今より優しくない時期だったんですね。 教え方としては「仕事は見て盗め、1回しか教えないから。」そんな雰囲気があったんです。そうすると、初めてアルバイトをする高校生とか、久しぶりに働こうと思った主婦の方とか、すぐ辞めちゃうんです。

辞めちゃう人を見ていて、悲しいな……と感じていました。自分がトレーナーやマネージャーになって、少しでも影響力がある立場になったら、せめて自分がいるその場所、その時間帯だけは、新しく入ってきた人が楽しく働けて、辞めないようにしようと思ってました。

あ:素晴らしいお考えですね。で、実際マネージャー職として影響力を持ってお店を良くしていったと?

自分ではそう思ってます。最後の方は、男番お局みたいな感じでした。

あ:それは興味深い。どんな感じだったんでしょう?

人間関係とか、仕事の仕組み作りとか、すべてを改善していきました。何も決まっていないものを、とにかく決めていったような感じです。ひとりの人間が決めるのは良い面も悪い面もありますが、結果として、スピーディーに店舗環境が良くなったと思います。売上や退職率など数字上の成果も良くなったし、一緒に働いていた人からの評価も決して悪くなかったと思います。

あ:順風満帆に思えますが、それが、なぜ辞めてしまうんでしょう?

最後に在籍していたお店が新規オープン店だったのですが、人手が足りていないとか諸問題があり、仕事が思うように進まないことがありました。それをカバーするために、長時間働かないといけない状況も続いていましたし、最後は緊張の糸が切れて、燃え尽き症候群のような感じでしたね。

あ:懸命に働いて、いろいろと改革したのに……。でもそういう人の方が燃え尽きやすいんですかね。

僕の場合は、急に病んでしまうっていう訳ではなく、段々と気持ちが冷めていくんです。長い時間働いているけど、将来の見通しがないぞって気づいて、そこから段々やる気が蒸発していきました。最後は未練もなく、きれいサッパリ心の中から興味関心がなくなっちゃう感じですね。

■「出来ること」と「やりたいこと」

あ:ファーストフード店を辞めたのが、30歳前後とかですかね?

31歳のときだと思います。

あ:なるほど。それから何をされるんですか?すぐにフリーランスの活動を?

いえ。ファーストフード店を辞めたときは、フリーランスで独立する気もなく、特に考えがないまま、辞めてしまいました。とりあえず自分が働けるところだったらどこでもいいやという、大学生のときの就活と同じ気持ちで、不動産会社に応募をし、採用されました。

あ:危ない匂いがしてきました。

働き始めたんですが、紳士服店のときと同じように、会社の風土、やり方にどうしても合わず、1ヵ月もたたない内に辞めました。そこで、自分にとっての会社勤めは「我慢することの連続」になってしまうと気づいて、好きなようにやろうと思ったんです。

あ:ついに独立される訳ですね。何を始めるんでしょう。

なんとですね、ここでまた、「自分の出来ること」しか考えず、ネックレスとか、指輪とかのフランチャイズ買取店を開きます。大黒屋みたいなお店ですね。

あ:これは興味深い展開になってきました。笑 フランチャイズ社長ってことですよね。それはうまくいったんですか?

それが、全然うまくいきませんでした。

あ:どうして……?

色々原因はあるんですが、大きいのは、自分の中で「自分が出来ること」、「自分のやりたいこと」、「それで人に役立つかどうか」という軸があったとして、「自分が出来ること」しか考えなかったからだと思います。「自分が出来ること」は言い換えれば「これでいいや」って選択で、そうすると、その仕事を前向きに「やりたい」と思う感情が出てこなくなってしまったんです。

あ:あー、分かるかもです。

単に「自分が出来ること」で仕事を選んでしまうと、「自分が出来ること」という、小さな視界の中でしか物事を考えなくなるという教訓を得ました。

あ:とても素敵な気づきだと思いました。買取店はどのくらいの期間やられるんですか?

1年半くらいやりました。

あ:1年半もやられていたってことは、しっかりお金も稼げていたんですかね?

これがですね、実態は、貯金を取り崩しながら、日々の赤字部分をひたすら補填していた形でした。最後の方はこれ以上やると貯金が無くなるっていうのが分かったので、とにかく打ち切らなければならないと考えてました。

あ:お店を畳み、それでも当時、32、3歳ってとこですよね?

そうですね、当時33歳くらいの筈です。そこから「自分が出来ること」だけをやるのは失敗の元だと思ったので、「自分のやりたいこと」をやろうと思いました。それで、「自分のやりたいこと」が決まっていないのに起業塾に行ったんです。

■迷走

あ:起業塾っていうと、起業したい人が集まるセミナーみたいなイメージですか?

そうですね。コンサルティングをする人がいて、そこで他の参加者とミーティングをしたり、個別に課題を貰って、それに取り組んだりします。6ヶ月間通いました。

あ:6ヶ月通われて、そのあと、起業はされたんですか?

それが全然でした。「自分がやりたいこと」をやろうと切り替えたと思ったんですけど、「やりたいこと」が全然まとまんなかったんですね。ファーストフード店のときに仕事を教えていたから、教えることは得意だろうと思って、コーチングで起業しようかな? みたいに考えました。でも、そこから仕事として話を膨らませようとしても、全然うまくいきませんでした。結局僕にとってのコーチングって「どうしてもやりたいこと」じゃなくて、「出来ること」から選択しているに過ぎなかったんです。

あ:なるほど。

起業塾に通って学んだことは……、「出来ることだけで考えるのはダメだし、やりたいことを考えるときに、根拠がないやりたいことをやっても全然うまく行かない」っていう簡単なことを知るために、6ヶ月間の塾代’’ウン十万’’払っていたということですね。

あ:でも、一歩ずつ前進していますよね。ちゃんと検証をして、これはダメだったとか、歩みを進めてますよね。

綺麗な言い方をするとそうかもしれませんね。笑 でも実際は、貯金を使い果たす寸前で、なんとかしなければいけないと思っても道が分からない。自分なんて生きている価値がないんじゃないかと、自分で自分を責めてしまう。そんな状況でした。

あ:かなり心理的にキツい時期ですね。

次がまったく見えてこないし、自分に能力があるとか、無いとか以前に、フラフラし過ぎちゃってる。とにかく自分自身をダメ人間と思っていました。他の人には、「こんな経験はしなくていいよ」と言いたいですね。このあたりが、今のところ人生で1番迷走していた頃で、人生の底です。

■脱出

あ:起業塾に半年通われました。その後はどうなっていくんですか?

起業塾へ通っていたのとほぼ同時期に、Facebookの活用講座に通っていました。そして、更に別のところでスピリチュアルの要素も少しある、「セラピスト養成講座」にも通っていました。

あ:次は、Facebookとセラピストですか。

お店を畳んだ直後で時間はあったし、自分に何が出来るか分からないから、とりあえずやろうと思いました。どちらも知り合いに声をかけて貰って参加したんです。FacebookでSNS集客をしようという講座と、ヒーリング講座をほぼ同じ時期に修了したので、SNSの使い方を駆使して「ヒーリングで心のお悩みがある人を解決します」みたいな活動を初めました。それが2016年くらいかな。

あ:少しずつ、現在の仕事に近づいてきている感じですかね。

いや、意外と自分の中では、このあたりの活動の連続性はないんですよね。ただ、目の前のことに対して一生懸命取り組んでいました。そんな中で、やっぱり自分がやるのはヒーリングじゃないよなぁとか、迷いながら自分の居場所を探していました。

あ:なるほど。

一方で、所属していた社会人サークルで、FacebookなどのSNSに活動を投稿する運営支援や、書くことは続いていたので、その活動から、仕事が無い訳ではありませんでした。「この路線ならいけそうかも」という感覚が生じたのもこのあたりです。それで、所属していた社会人サークルではなく、もう少し真剣なビジネス交流会に参加し始めたんです。

あ:ここらへんから現在のお仕事に繋がるんですね。じゃあ、その「ビジネス交流団体」では、わたしは今までこういう活動をしてきました、文章も書けます、コミュニティの運営もできます、そんな武器を引っさげて参加したと?

そうですね。このとき、自分をどのように自己紹介しようかと考えて「コミュニティ運営に特化したライター」と名乗りました。おそらく、このとき初めてライターと名乗ったのではないかと思います。2017年頃ですかね。

あ:やっと見つけましたね。しかも、たくさんの経験の裏付けがある。

そうですね。紆余曲折を経て、迷走期を完全に脱出しましたし、今の仕事の原型もこのあたりにあります。仕事を依頼してくださる方もこのあたりから増えました。

あ:今は迷いはないですか?

まったくないです。

■座右の銘を教えてください。

あ:最後に、座右の銘を教えてくれますか。

はい、洋楽の歌詞なんですけどいいですか。

あ:もちろんです。教えてください。

座右の銘は、「I’m grown woman, I can do whatever I want」です。ビヨンセの楽曲の歌詞です。

あ:おー!ビヨンセですか。すみません、英語が弱くて。どういう意味でしょうか? 

訳としては「私は大人の女性なんだから、自分のやりたいことはなんでも出来る」っていう意味ですね。

あ:なぜ、この言葉が座右の銘なんでしょうか。

話した通り、僕は、就職は何となく決めるとか、仕事を辞めるときは、逃げるように辞めるとか、自分で自分のことを、欠陥人間って思っていたんです。

それが、あるとき、この歌詞がストンと自分自身に落ちてきたんです。「自分は大人なんだから、やりたいことはなんでもできるし、やりたいことは自分で決められる。」ああ、そうだなって。生物学的にはビヨンセと違って女性ではないですけど、年齢は同じで通じ合うところもありました。自分の年齢を考えたら当然立派な大人だし、やりたいことは自分でやればいい。根拠のない自信ですけど、好きなことを制約無く出来るし、やっていけばいいじゃんと。そう思えている、きっかけと支えになっている言葉です。

当初は自分の考えを書くことに戸惑いもありました。何か凄い実績を残している訳でもない自分がこんなことを書いてもいいのかなって。でも今は、「40年も生きてるし、何か文句つけられても別にいっか」そんな風に思えてます。だから書き続けられるんです。


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