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『魔災チルドレン』

【ご注意下さい!】
※魔災(まさい)チルドレン
→架空の大震災の被害児童

※地震前の作品です。不謹慎の極みですが、
架空作品と思える方だけお読みください。

…………………………………………………………
――今思えば、
ぼくは本当にどうかしていたんだと思う。
妹のことを忘れるなんて…

ぼくらは、
「魔災チルドレン」といわれてきた。
両親と住む家をそれで亡くしたから。

視界をおおう炎と煙…
人々の泣き叫ぶ声と、
耳をつんざくけたたましいサイレン…
がれきの下で、
ぺちゃんこになっている父と母…
道路の割れ目に飲み込まれ、
あちこちで逆立ちしている自動車の群れ…

まるで人類の墓標だった……

それは、
あまりに突然のことだったせいかもしれない。

ぼくにはぺちゃんこの両親も、
崩壊してしまった街も、
どちらも現実感がなく、
大作映画のセットにでも
紛れ込んでしまったのだろうと思った。

中学三年だった。

ぼくには妹がいて、
彼女には軽度の知的障害があった。
いつもぼくの後ろについて、袖をひっぱり、
上目づかいで、鼻水をたらしていた。

それを服の袖でそのまま拭おうとするので、
ぼくはいつもポケットティッシュを
持ち歩いていなければならなかった。

両親がなくなってすぐ、
ぼくらは県外の施設にうつされた。

高校にいくつもりはなかった。
働いて、妹を学校にいれてあげたかった。

その思いだけには現実感があり、
生きている意味をぼくに感じさせてくれた。

僕は中学を卒業して、
新聞配達と引越し屋をかけもちで、
寒い日も暑い日も毎日働いた。

もくもくとたんたんと働いていると、
余計なことを考えずにすんだ。

やがて、妹が無事にとある学校の
特別クラスに入学できたとき、
ぼくは本当にホッと胸をなでおろした。

それからまた少しして、
ぼくらは自分たちでアパートを借り、
妹と二人暮らしをすることになった。

仕事は肉体的にきつかったし、
怒鳴られることも多かったが、
それが心に突き刺さるというようなこともなく、
しだいになんとかこなせるようになっていった。

そうして3年がたち、
正社員で採用してもらうことが決まったある日、
ぼくは引越し屋の事務のおねえさんから、
告白された。

彼女は年上で、
10も歳が離れていたけれど、
ときどき彼女からの
意味ありげな視線は感じていた。
一目ぼれというものだったらしい。

ぼくは、好意というものを
深く感じてみたかったので、
彼女と付き合うことにした。

その日彼女のマンションに呼び出され、
二人で食事をして、
少しお酒を飲んだ。
そして、なりゆきでそのままベッドで寝た。

彼女の体の中は十分に湿っていて、
熱くて、確かに気持ちがよかった。
魔災のあった日からこれまで、
死のカビのようなものが全身まとわりついていて、
生きているという実感を
地肌で感じることから遠ざかっていた気がする、
でも、これからは違っていくのかもしれない…
そう思えた。

ぼくは狂ったように、
何度も何度も彼女を抱いた。

不思議なことに、
彼女と付き合うようになってから
ときどき、魔災の夢を見て
うなされるようになった。

生きたいという熱のような欲が
出てきた反動なのかもしれない。

そんなとき彼女は、
あなたには私が必要なのよといって、
ぼくを優しく包んでくれた。

彼女がアパートに泊まりにくる日は、
とにかく妹を早く寝かせた。
そして、
魔災のフラッシュバックから逃れるように、
彼女と交わり、安心を求め続けた。

ある日、
ぼくは真剣に彼女へのプロポーズを考えた。
生活も、二人で生きていくぶんには
困らない程度の稼ぎはある。
貯金はまだそれほどないけれど、
少し高めの指輪くらいなら買えると思った。

店に入って物色しようと思ったが、
気おくれしてなかなか入れなかった。
第一、彼女の指のサイズが
ぼくには検討がつかなかった。

彼女とあったときに実物の指をそれとなく眺め、
ネットで調べて目安がわかった。

休みの日、
テレビゲームに夢中になっている妹に、
ちょっと出かけてくると伝え、
ぼくは駅前の宝飾店に向かった。

そこでシンプルだけど、
彼女に似合いそうな指輪を買った。

すぐに彼女に連絡して、
向こうのマンションで会うことになった。
喜びいさんで彼女のマンションの前についたとき、
マナーモードにしていた携帯が激しく震えた。

アパートの管理人のおばさんで、親身になって
ぼくら兄妹の世話をしてくれている人からだった。

妹が近所の踏み切りの中に立ち入り、
騒ぎになっているから早く来てくれと
叫ぶようにまくしたてられ、
ぼくは一瞬頭が真っ白になった。

とにかく、
その自宅近くの踏み切りまで駆け戻った。

踏み切り前のひとだかりをすり抜けると、
そこに妹がいた。
線路の真ん中に座り込んで足を開き、
スカートをまくしあげて泣いている。
むきだしになった白い下着が
小便をたらしたようにぐっしょりと濡れていた。

「おにいちゃ~ん…おにいちゃ~ん…」

鼻水をたらした妹が、
少し鼻にかかった独特の声で、
ぼくを呼び続ける。

「抱っこして~……抱っこしてよ~……
わたしも抱っこ~……いかないでよ~……
おにいちゃ~ん……」と、泣き続けていた。

ぼくは婦人警官らしい女性が
妹をあやして誘導しようとしている脇をすり抜け、妹を抱きしめた。

「ご、ごめん……! ごめんな!
俺はどこにもいかない!
おまえの傍にいる! だから安心しろ!
わかるか! わかるか!?」

いいながら、妹の肩をぎゅっと抱きしめた。

「…おにいちゃん? ……どこにもいかない?」

「ああ!ずっとおまえの傍にいる!」

「ずーっとって、いっぱいの、ずーっと?」

「ああ、いっぱいいっぱいの、ずーっとだ!」

ぼくの声が心に届いたのか、
ようやく妹はにっこり笑った。

ぼくは警察に事情を話して謝り、
いったん妹をひきとって家に帰った。

管理人のおばさんに妹を預けたあと、
彼女に電話し、
もう会えないかもしれないと伝えて、
警察に向かった。

彼女に妹の話をすると、
そう、じゃあこれで終わりねと、
拍子抜けするほどあっさりと電話を切られた。

その後、会社で顔を合わせたりもするが、
彼女は大人で、
まるでぼくらの間には
何事もなかったように振舞っていた。

熱に浮かされたような彼女との日々は、
急激に色あせ、
魔災のように現実感の乏しい
単なる記憶の残骸になった。

もうどうでもいい…
どっちにしたって、ぼくはもう、
どこにもいけない。
最初から決まっていたことだ…

彼女のために用意した指輪を、ぼくは妹にあげた。
左手の薬指にぴったりだった。
妹には、その指にはめる意味がまだ理解できない。

「わあ、きれ~い! お姫さまみた~い!
 ありがとう王子さま~!」

でも、妹の顔にいつもの笑顔が咲いていた。
ぼくは、これでいいと思った。これで。

【了】

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水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。