大物芸能人から言われた”一言”(26)

~ 概要 ~

私は、ある大物芸能人から、『あなたに会うために、これまで生かされていたのだと思う』と大変ありがたい言葉をいただいた。これは、日本を代表する俳優から、サラリーマンである私がそんな言葉をいただくまでの出来事を記したメモである。

第3章の概要 ~未来を担う若者たちを築く塾~

平安な世界を創るため、私は、「未来を担う若者たちを築く(育む)塾」を創ることを決めた。そして、2018年2月15日に、多くの方々の協力のもと、「お金」を一切絡めない、「心」で繋がり、「心」で進める塾を開講した。
初年度は、試験的に多くのことを試み、塾の方向性・内容を高める年とし、実施していくこととなるのであった。

「高校生の私」

平安な世界を創るため、2018年2月15日に、「未来を担う若者たちを築く塾」を創設した私の高校生のころを振り返りたいと思う。

「サッカー」と「私」

高校生活にも、いくつか、私の「心」を成長させた出来事があった。

そのうちの一つを紹介したい。

私は、小学2年のころから、サッカーを始めた。
大人になって、同窓会で、友達にあうと、必ずと言って良いほど、サッカーをしてないことに、みんなが驚く。
私が大人になっても、何かしら、サッカーと関わっているものだと思っていたようだった。
みんながそう思うのも無理はない。私は、朝から夜まで、ずっと、サッカーボールと一緒だった。
高校では、一年からレギュラーとなり、活躍をしていた。
朝、誰よりも早くきて練習に励み、私は、本気で、全国大会への出場と、国立(日本一)を目指していた。また、学区のトレセンにも選ばれていた。
しかし、学区の選抜試験では、試験当日の朝にインフルエンザのワクチンを打ってしまい、試験中に、40度の熱をだしてしまい、さすがに、動くことができなくなってしまった。。そして、見事に選抜に落ちた。
これも縁だと思い、割りきって、次に向けて、練習に励んだのを覚えている。

サッカーは、私にいろんなことを教え、鍛え、プレゼントしてくれた。
チームプレーの大切さ、粘り強さ、そして、楽しかった日々の日常を。

チームメイトと過ごす、何気ない時間が、最高のひとときであった。

仕事も、プライベートもそうだが、何気ない普段の日常が、振り返ると、幸せな日々であったことに気がつく。


高校時代、私は、サッカーを辞めた。このことは、今でもハッキリと覚えている。サッカー選手としての選手生命を絶ったのだ。

高校3年の春の大会。私たちは、東京都の予選を勝ち上がり、決勝リーグに進出した。この決勝リーグで、私は、初めての挫折を味わった。そして、スランプに陥ってしまった。

次回に続く・・・

<余談>

「5重人格」

人は、自分の中に、いくつかの人格を持っているのだろうか?

私は、5つの人格を持っている。
「笑顔で、冗談好きな、陽気な人格。」
「狂気で、暴力を振るうことも苦としない人格。」
「先読みし、何事についても考える人格。」
「人見知りで、人と話すのが苦手な、内気な人格。」
「真面目で、誠実な人格。」

しかし、「狂気で、暴力を振るうことも苦としない人格。」は、中学卒業とともに、私の脳の奥深くに消えていたが、いつも、早く出せ、早く出せと、私に言ってくる。

次回の「余談」に続く・・・

第一章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(7)を参照ください。

第二章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(18)を参照ください。

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