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ウィーン・プラハ旅行【分離派会館】鑑賞レポ②

次はセセッシオンこと分離派会館。

クリムトやコロマン・モーザー、オットー・ワーグナーなどが結成したウィーン分離派が作った美術館です。

大通りを歩いてると見えてきた月桂樹の金のドーム。いやぁあぁぁかわいい!太陽の光に反射してキラッキラ光ってました。周りに建物がなく独立してこの建築が建っているのでとても神秘的。
玄関にある鉢植えをよく見ると亀が支えていてかわいい。古代インドの亀が地球背負ってるやつみたい。

さてみなさん、この建物の正面に書いてあるこの文字、なんて書いてあるかご存知ですか?

分離派のスローガン「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」と書いてあります。しびれるぅ!
ウィーンの美術界は伝統重んじる古典的で保守的な派閥の力が強くて、新しい芸術なんて認めんぞみたいな感じが長く続いてたのですが、「いつまでも古い様式にこだわってんのどない?」ってなった人たちが分離派です(説明が雑過ぎる)。

そんなわけで自分たちが信じる「今」の芸術のための展示施設!ということで、今もなお若手の現代アーティストたちがここで様々な実験的な展示を行っています。私が行ったときはインターセックスも追加されたプログレス・プライド・フラッグが玄関に掲げられていました。それから3組のアーティストの展示も見ましたがなるほど名の知れた美術館で展示ができるというのは若手のアーティストにとって希望だなと。粗削りだけれども熱量の高い内容でした。

そしてここの地下には開館当初を思い起させる壁画が残っています。それがクリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」です。1902年、オーストリアの作曲家ベートーヴェンを称え称賛するために開催された展示で、クリムトが「交響曲第九番」を自分なりに解釈して(リヒャルト・ワーグナーの解釈も合わせて)オマージュして制作した巨大な壁画です。

一歩この空間に入って感じたのはおやおや、簡素ではないか。です(え)クリムトって盛り盛りの盛り太郎だと思っているので、壁面をぐるっと密度ぎちぎちに描いてないことに物足りなさを感じました。
あえて大きな余白を残してる理由はなんかあるんかな?と考えながらふと横を見ると貸し出しヘッドホンが。耳にあててみたら第九が流れてる!!!!!なるほどこれ聞きながら鑑賞できるんや最高やんとしばらくまずはそれ聞きながらソファーに座って壁画をゆるゆる眺めていたのですが、改めてちゃんと聞くと第九って重厚感がすっごい。
これ聞きながら絵見てたらもうおなかいっぱいになってしまって。なるほど絵だけじゃなくて音と詩と一緒に鑑賞する前提での余白なのかもしれないなと。おもしろい。
この空間は舞台のような総合芸術を目指してるんかなと思いながら、まずは左端から順番にじっくり見ていくことに。

遠藤はこの作品を見るためにMy双眼鏡を携えてのこのことやってきたわけですが、そう、すごい壁面の位置が高いので見上げなくちゃいけなくて、とにかく首が痛いんです(文句言うな)。
見上げるという行為は教会で祭壇画を見る時の姿勢に似てるので、この作品もベートーヴェンの崇高さを表現してるんかもしれません。

さて、目を閉じてふゆふゆと空を泳いでるのは人類の「憧れ」や「希望」を象徴している守護神だそう。心が荒ぶることなく穏やかに平和に眠るようにたゆたうことが憧れであるという解釈なんやろか。
クリムトは眠る人物と目を開いて現実を見ている人物の対比がやはりどの作品でも見られるので、ここでも大事な要素なんやと思います。
みんなちゃんと1人ずつ顔が違ってたので記号ではなくあくまで個人という気がしました。

で、次に進んでいくと懇願している人たちとめっちゃ勇ましい人がいる。
立ってる女性は「願い」、跪く男女は人類の「苦しみ」を象徴し、黄金の騎士に正面の壁に描かれた「敵対する力」と闘ってくれへん?とお願いしてるようで、騎士の上にいる女性は「野望」と「憐み」の象徴だそう。
私はこの壁画全体の主人公は騎士ではなくこの立ってる裸の女の子なんじゃないかと思ってて、今を生きているこの子の内面的葛藤はアダムとイヴの創成期にまで遡って、根源的な人間の持つ問題につながり、それを解決していくような救いへの旅路なんじゃないかと。
一見非現実的な世界に見えるけど、これはあくまで現実を表現している、この女の子は私かもしれへんと考えると一気にこの作品が自分事として見えてきました。

さて、次に正面の壁を見るとなんかもういい感じのやつらがいっぱいいるw大好きw
「敵対する力」である病・狂気・死、肉欲・淫蕩・不節制、怪物テュホン、ゴルゴン三姉妹、そして右下に絶え間ない深い悲しみや激しい苦悩を象徴する女性が描かれています。
ゴリラみたいなのがギリシャ神話に出てくる悪の権化テュホンなのですが、骨が鉄でできてるし羽があって高速移動ができるし下半身蛇やし岩投げるし目から火が出るなんかすごいてんこ盛り怪物でw、この壁の右半分は何かの模様ではなくテュホンの胴体なんです。
クリムトの描く得体の知れない、なにがなんだかわかならい生き物の描写、どの作品もぎょっとするのですが、これも蛇の皮、羽の1枚1枚の描き込みがすごい迫力でした。

あとこの壁面のすごくいいところ、右上にふゆふゆ浮かぶ守護神がちらっと見えているんです。
怖がるから怖く見える、恐怖は自らが生み出しているということを最近スナフキンから学んだのですが(ムーミン大好き)、ここの1面からは結局誰しもが罪と隣り合わせ、逃れられないと思い込んでいる欲望や感情は実は本質的なものではなく、考え方や捉え方次第で希望に導くことができるということを暗に示している気がして、めちゃくちゃ熱いなと思いました。

次、右の壁へ。
竪琴を奏でる女性は詩と音楽を表してて、「人々を救い、導くのは芸術だ」ということを示しているそうです。やばくないですか?遠藤はもうこの展開が胸熱すぎて。
芸術の力まじで最強、全ての生きづらさは芸術で解決できると思っている過激派なのでここの描写にぐっときました。
でもこの竪琴、よく見ると弦がなくて。私が見えてへんだけかもしれないのですが、なんでやろうと。
これは音色だけじゃなくて詩・言葉ということも表しているからなんかもしれません。第四楽章、みなさん聞いたことあると思うんですが、歌入ってるじゃないですか、合唱が、この曲って。歌の力、人間の声の力、言葉の力みたいなものがダイレクトに響いてくる、そんなこの曲へのリスペクトなのかもしれません。
ほんま言葉、対話って大事よなって毎日思います。

で守護神たちがうっとり衣を脱ぎ棄ててムーンプリズムパワーメイクアップ状態になって、クライマックス(もっとちゃんと書け)。

この最後の楽園シーン、第四楽章聞きながら見たらめっちゃ泣ける(情緒)。
シラーの「歓喜の歌」を歌う天使たちと抱き合う男女。これ最初に立ってた女の子と騎士なんやろか。
懇願してた男女の足元に纏われてた糸状のものがこの2人にも巻き付いてるので原罪から救われたアダムとイヴであり、今を生きるあなたとあなたなのかもしれません。

男!女!という性別がクリムトの作品では色濃く描かれますが、生命の誕生の神秘を辿る際に必要な生物学的な象徴なんだろうなというのも彼のいろんな作品を見てるとわかってきました。
ということで人間の弱さ、他者と手を取り合い生きること、愛、芸術の力など、盛り盛り盛り太郎作品でした。最初物足りないとか言ってごめんなさい。というわけで首が限界になったので帰りました。

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