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【発達障害と診断されるまで~周りとの違いに気づき始める】

小学四年担任の恐怖政治のお陰で忘れ物を無くすための術を自分なりに編み出し、高学年では少しずつ忘れ物は減っていました✌️
それでもゼロになることはなく、いまだにやらかし続けています😱何せ、ほんまもんのADHDですから🤣

小学校低学年までまるまるぷくぷくだった私は、小学四年生を境に、体重の伸びを遥か上回るスピードで身長が伸び、ガリ子になりました。

今思えば、ストレスもあったんでしょうね💦

朝目が覚めて、また学校があるということに気づいて、恐怖に戦く・・・という毎日でした😨

ストレスどころか、当時、うつだったのかもしれない🙉日々緊張していたのは覚えています。

その頃から、自分が周りの同級生とはどうやら何かが違うのだということに気づき始めます🥺

いつも全力投球で必死にやってるつもりなのに、できないことは全然できない😱

ぼーっとしてるとか、やる気ないとか、ふざけてるとか思われる、もしくは、どんくさい認定😢

でも、

私以外の人達は、きっと私よりもっと努力しているからできるんだ‼️私ももっともっと頑張らねば‼️

としか思っていませんでした。

何事にも、120%必死で取り組まなければならないとずっと思っていました🔥

幸いにも、勉強に関しては分からないと思ったことは殆どありませんでした。当時はね🤣

だから余計に、生活の節々の出来なさが目立っていたようです👀

同級生女子は恋バナに盛り上がるお年頃でしたが、私には『誰かを好きになる』という感情が当時全く理解できませんでした💔

嫌いじゃないし、いい人だと思うことはあっても、周りはなぜにそれほどまでキャーキャー盛り上がるのだ⁉️🤔

と謎でしかありませんでした。

ぬいぐるみやリカちゃん人形的な遊びにも、可愛い洋服とかにも、基本的に女子女子したことが全く理解出来ませんでした🙉

家では当時流行りのテレビ番組は殆ど見せてもらえなかったし、興味もなかったので、そういう話題にもついていけませんでした。

それでも仲良くしてくれた同級生には感謝だなぁと今改めて思います💦

当時の友達とは、今でもコロナ下でなければ、定期的に会うほど交友が続いています✨ありがたいことです💕【発達障害~母ごころ当事者ごころ あゆ】

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