竹刀でホームラン~婚活迷子の16年~④
「今世では結婚はしない。来世に取っておく」
と結婚しない宣言をした一つ下の子がいた。
週末には一人昼のみをして、シンプルにいきる。
素晴らしいと思った。
けど・・・真似は出来なかった。
もう何度も、何度も一人でいいや、
マンション買って、犬飼って・・と思っても
結婚に対する憧れがあった。
どこかで、やっぱり両親を
安心させたいという思いがあった。
私は両親と良好な関係である。
しかし、その親もいつか順を追ってこの世をさる。今はいい。独身でも帰る場所があり、頼れる人がいる。
しかし両親ももう決して若くはない。
いつか認知症になり、介護が必要になり、私の事もわからないようになり去っていくだろう。
その後を考えると怖かった。
その最期を一人で見送れる自信がないので、その時にいてくれるパートナーが欲しいとずっと思っていた。
しかし、その時まで一緒に耐えられるような男とは全くといっていいほど出会えなかった。
結婚に対してブレブレだった、婚活生活16年。
大学の名前をきけばぐらついて、仕事を聞いてぐらついて、家柄を聞いてぐらついて・・・
でも性格は全く合わない。
話をしていても全然楽しくない・・・
無理矢理付き合ってみても、無理をするからストレスがたまり、喧嘩になる。
蹴落として悪口をいって、スッキリするが、どんどん自分が醜い女になっているのもわかっていた。
しかし、そうでもして自分も守っていかないとやってられなかった。
強がっていてももう精神的にもボロボロだった。仕事と婚活に行き埋まり、仕事を辞めるほど精神的に参ってしまった時期もあった。
1年ほど婚活も辞めて、天職と思っていた仕事も辞めて、職業訓練に通い私は38歳で底辺まで落ちた。
この頃は本当に毎日辛くて死にたいとまで思っていた時期もあったが、ゼロになった事で、色々な諦めや考え方、お金の使い方もシンプルになった。
それまでは、ストレス発散で急にお金を使ったりと無茶をしていたが、無職になったおかげて、一人の場合のお金の算段もつくようになった。
もうこんな事になってしまったから
「ひとりで当たりまえ、
結婚できたら最高にラッキー」
くらいに考え方が変わった。
だいぶ楽になった。
しかし、それからも細々とアプリを続けるもクズばっか。そんなもんと諦めていた。
そこから半年して、正社員の仕事も無事に戻れて、人生やり直し!と思ったらコロナがきて、あっという間に会社が休業からの倒産となった。
「あー人生おわったな」と思った39歳だった。でも、1年前のどん底のおかげて何故かのんきだった。
休業状態だったので、他に下手に転職も出来ず、でもこの休業補償だけでは生活は成り立たなかったので、39歳で人生初めての「派遣社員」となった。
以前にも書いたが、アプリ婚活で私は「年齢」で振り落とされるだけでなく派遣という「職業」でもことごとく振り落とされるという現実を知った。
しかし、逆の発想で、派遣と聞いて嫌がる男は、「派遣」=「給料が低い」→「俺に頼られては困る」=「たいして稼いでいない(金がない)」という図式が出来、年収の欄で自慢していた男達の本当の財布事情が判断できるようになった。
~続く~
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