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「いやいやお客様、それでは困ります。現代日本、食い逃げヤリ捨て泊まり逃げ、どれも全く許されません。」

無精髭と、テカテカにひかる髪の毛。三十路ほどに見える大柄な男が、吹き抜けのエントランスに足を踏み入れた。そこは、床の隅までがワックスで輝く四つ星ホテル。猫背に千鳥足の男以外は、平日の夜から旅行できる権力者か、経費でハイレベルなホテルに泊まれる重役しかいなかった。

「おい、そこのフロントマン。今週いっぱいくらいまで空いてる部屋はあるか?」

一瞬怪訝になった顔は、プロ意識がすぐさま塗り替える。

「は、お客様。ご予約の方はございますか?」
「予約?いや、していない。ネットには弱くてね。」

そう言って豪快に笑う男。大きな口からはアルコールが漏れている。

「でしたら申し訳ないのですが、、、」
「おいおいちょっと待ってくれ。いや、分かる。無理を言ってるのは俺だって分かる。でもよく考えてくれ。この俺が無理を言ってるんだぜ?」

よく分からない理屈をこねる男を、雇われのフロントマンは流石に持て余す。そこへ支配人がやって来た。

「はいはい、お客様、どういたしましたかな?」

マンガで見る大阪の商売人みたいな支配人。そばにいるフロントマンたちは、急にリラックスし出す。

「いやね、支配人よ。俺はただ、一週間ばかり泊めてもらいたいと、そう言ってるだけなんだ。」
「なるほど。ですがご予約がないのであれば、こちらとしても難しいですな。」

手もみしながら男を見上げる。どうやら支配人、なかなかに小心者らしい。

「そこをなんとか頼むよ!一週間で良いんだ。料金も2倍は払うぜ。」

全く引き下がらない男。このままでは他の宿泊客にまで迷惑になりそうだ。

「なあ、大の大人がここまで頼んでるんだ。一部屋くらい良いだろう?それにこのままフロントで話してたら、他の客も困るぞ?」

酔ってるくせに観察力だけは異常に高い。そんな男に根負けして、支配人は部屋に案内した。当初のフロントマンが、チェックインのためにクレカを確認した。
意外や意外。男はプラチナカード持ちだ。




「はあ~、なんていいホテルだ。やっぱり日本が一番だな。」

暖色の光に包まれた部屋で、やや低反発なマットレスに寝転ぶ。備え付けの檜風呂に入った後だったから、男はすぐに寝てしまった。




「ちょっと支配人。大丈夫なんですか?あんな、ニートの完成形みたいな人を泊めちゃって。」

ロビーのバックヤードでアルバイトと支配人が話している。

「だいじょうだいじょうぶ。あの人はなにかしらの大物だって。カードもプラチナだったし、何より俺の勘がそう告げてるんだ。」

雑巾で拭き掃除をしながら答える。ここのホテルは他とは違い、ヒエラルキー最底辺が支配人となっている。

「またふざけてこと言って。ついこないだだって、明らかに怪しい詐欺グループを泊めちゃって、警察の人に怒られたじゃないですか。」

半ば呆れながらも、アルバイトは真剣に諭す。

「私達、支配人のこともこのホテルのことも大好きなんですよ?潰れないように、もっとちゃんとして下さいよ!」

本当に、愛されてるのだろう。



一方男は、ホテルのマッサージサービスを受けていた。

「あ~、お姉ちゃん、マッサージうまいね。」
「ありがとうございます。」

相変わらず髭は伸びっぱなしだが、ホテル暮らしが続いたためか、清潔感はいくらか増したようだ。

「まったく、ずっとこのホテルに泊まって居たいよ。」




「ちょっと支配人、あの人、もう2週間くらい泊まってますよ?最初に言ってたのと違うじゃないですか。」

ほとんど怒鳴りそうになるアルバイト。強く言われると言い返せないのか、支配人は小声で返事を絞り出す。

「分かった、分かったよ。せめて一回、ここまでの分を清算してもらうよう俺から言ってくるよ。そう怒らないでくれ。」
「もう!頼みましたからね!?」


そうして支配人が、男の泊まる部屋に足を運んだ。

「あの~、○○様?そろそろこの辺りでですね、ええ、お支払いをして頂きたく存じますが、、、。」
「ああ、わざわざ来てくれたのか。ありがとな。まあドアの前で話すのも何だろう。部屋に入ってくれ。」

部屋のイスにちょぼんと腰をかける。

「お前の言う事ももっともだ。もちろん払うぞ、カードで良いよな?」

無事に支払いしてもらえると知り、心底安堵する。

「はい、ありがとうございます!でしたらこちらの機械にカードを差し込んで頂いて。」

読み取り機を差し出す。

「ああ、ちょっと待ってくれよ。今財布を出すからな。」

枕もとのカバンをまさぐる男。
ゴソゴソ。ゴソゴソ。

「どうでしょう?ありましたでしょうか?」
「おいおい、そんなに急かすなよ。」

ゴソゴソ。ゴソゴソ。

「いかがですかね?私も別の業務がありますので。」

ゴソゴソ。ピタッ。クルッ。

「うん、無いわ。」

仁王立ちで言い放つ男。言われた方もそんなに堂々とされては、思わず一瞬黙ってしまう。

「えっと、ああ、財布を無くされたということで。スマホのIDで支払いをなさるということですね?」

汗たらたらで聞く支配人。

「あいでぃー?すまんが、俺はITに弱いんだ。よく分からんが、とにかく今は金がない。」

慌てて言い返す。

「いやいやお客様、それでは困ります。現代日本、食い逃げヤリ捨て泊まり逃げ、どれも全く許されません。」
「なんだよその表現は。お前は面白いな。」

余裕しゃくしゃくに髭をいじる男。

「面白いも何もないですよ。私もね、部下に対する面子があるんです。ここらでちゃんとしとかないと、いつか見放されてしまう。そうなったらここの経営は終わりですよ。」

フラれた女にしがみつくかのような支配人。
思わず男の袖を引っ張る。

「おいおい、放してくれ。いいか?俺は何も『金を払わない』なんて言ってない。」
「へ?」
「実はな、俺は作曲家なんだ。金の代わりに、このホテル向けに曲を作ってやろう。そしたらその著作権を売るなりすればいい。」
「はあ。」
「いいな、そういうことだ。曲を作るのには2.3日かかるから、もうしばらくここに泊めてもらうぞ。」

勢いに押し切られて、途方に暮れる支配人。
「はあ、あの人ぜったい詐欺師じゃん。また警察の相手するのかなぁ。」



それから数日。
バックヤードで頭を抱える支配人のもとに、フロントマンがやって来た。

「あの~、例の人が、『この音源を支配人に渡せ』っておっしゃって。」
「ああ、最近の詐欺師は手が込んでるんだな。君、ロビーのBGMをその音源に切り替えてくれ。その後で110番することにしよう。」

吹き抜けのホールに曲がかかる。
 
最初は、音大に通うスタッフだった。やっていたチェックイン業務を、思わず止めてしまった。
次は、昔に楽器をやっていた外国の老人。次第に、その場にいた全員に、その音楽は伝播した。
足音や物音がなくなり、人々はゆっくりと眼を閉じる。しまいには、スーツをきたお偉いさんが、ロビーの床に座り出す始末だ。

そして曲が終わった時、ホール全体には、誰しもが幼少期に嗅いだ、土の香りが漂っていた。
静寂に包まれたまま、さらに数分が経つ。そうしてようやく鳴った音は、恰幅の良いアメリカ人が支配人に歩み寄る音だった。

「すまないが、この曲の名前を教えてくれないか?」

明らかに別次元のオーラに押され、しどろもどろに答えてしまう。

「あ、えっとですね。はい、実はうちの客がさっき作った曲でして、はい、曲名はよく分かりませんで。」
「なんとラッキーなんだ!だったら、その彼に頼んで、この曲を買わせてもらえないか?100万ドル出そう。」
「ああ、え?100万円も!?」
「円じゃない、ドルだ。換算すれば、大体1億円か。とにかく、彼にそう伝えてくれ。」
「1億!もちろんですとも。にしても良いんですか?あんな浮浪者みたいな奴の曲に、そんな金額出しちゃって?」

こういうところが、支配人が経営に不向きな所だろう。

「おいおい浮浪者呼ばわりか。もしかして君は、作者と仲が良いのか?だったら加えて頼んで欲しいことがあるのだが。」
「ええ、ええ、もちろん。何でもおっしゃってください。○○様には普段から懇意にさせてもらってますから。」
「彼に、うちのレーベルに所属するよう言ってくれ。もしOKなら、彼自体には1億ドルだすよ。」

豪気に笑うアメリカ人は、メジャーレーベルの会長だった。


再び男の部屋に足を運ぶ。


「おう、早かったな。もう買い手がついたのか?」
「お客様、すんごいですよ!1億ですよ1億。お客様の宿泊料なんて、ミジンコですよ」

興奮気味だ。

「ん。まあそんなもんだろう。さすが四つ星ホテル。良い耳をした客が、ちゃんといるんだな。」
「良い耳も何も、米最大手レーベルの会長ですよ!それで、曲だけじゃなくてお客様のことも買いたいって!100億!100億円です!」

髭についた泡を拭って、男はこう言い切った。

「支配人よ。俺は、自分の曲以外に魂は売らないんだ。」

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