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本性を見た瞬間、好きな人の1番好きだった部分が1番嫌いになる。

なんて純粋で素直な性格なのだろうと思った。昇格と話せば素直に喜んでくれるし、美味しい物を食べれば「美味しい」と言い、感じたままを素直に表現してくれる。
山の手線が止まれば雨の中、30分も待ってくれた。そしてこの時、全く怒らずに、「待ち合わせだから待っていた。」と言ってくれたのだ。

この方は、気遣いも思いやりも完璧なんだと思ってしまった。
しかしこの素直さは、相手を思いやるためではなく自分が心のあるがままでいるためであったのだと分かり始める。
………………
私の趣味の1つが美術館巡りだから美術館に誘ってくれたわけではなく、自分が行きたいから、強引に誘ってくれたと知る。少し がっかりはしたが、それでも悪い人じゃないのだからと思い直し一緒に行った。
しかし、彼の口から出る見ている絵についての感想が一々頓珍漢で、私は意気消沈する。ダリの絵を、
「僕でも描けそう。」
と言われた時、「侮辱だよぅ、それ。たった1枚でモデルの人格や感情まで見える絵を描けるなんて。」との思いから私は言葉を失ってしまった。
素直に感じたままを言葉にすることは、無意識に誰かが大切に思っているものを傷つけるのかもしれない。

次のデートの帰り道、
「最近、女の子とのデートのときにはマルイで服を買うんだ。だから毎週、マルイで買い物している。」
と言う。
確かに、日常の出来事を嘘で固めるのではなく、正直に話してくれる様子は愛おしくもある。しかし、話す必要のない話をされると、デリカシーがないのかなと面白くなくなってしまう。
そして、少し、冷める。
………………
気づいたときには素直で純粋という1番好きだったところが1番嫌いになり、素直で純粋な彼の人格に触れないように、私は彼をブロックしてしまっていた。

その後、彼にも彼女が出来たようであったが、それから3ヶ月経過し、共通の知り合いから連絡が届く。
「彼、『彼女と別れたから、また貴女に会いたい。』」と。
「また会いたい。」だけで充分なのにね。なぜ言う必要のない自己都合の理由をわざわざ告げるのだろう。彼の正直さにどっと力が抜けてしまった。
…………………
思いやりのない純粋や素直さは、時に人を傷つけてしまう。伝える必要のない日常の出来事や、提案の根拠はそっと胸にしまっていて欲しい。

それは純粋さや素直さを長所とするためにである。
もっとも他人を思い遣る必要は純粋さや素直さという人格だけではなく、あらゆる人格に該当するだろう。嘘を吐く性格や、優しい性格も、自己都合ならそれは欠点で、思いやりの表現なら長所となる。

彼と同様に、純粋と言われやすい自分への自戒として。思いのままを口にするのは良くないとの学びを忘れぬようにnoteに書いた。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)