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詫びる相手は他人じゃない。伝えるべきは酷使した自分の心や体。

休職から戻ってきた10歳年上の同僚がゴディバのクッキーを渡し、「申し訳なかった」と話す。
私は疑問で受け取らない。すると泣きそうな目をしたから、「返ってすいません」と戴いた。

内心、「申し訳ない」は同僚や会社に対する言葉じゃないよ。自分の「心」に伝えてくれたら良いのに。泣きそうになりながら人に気を配り心を削った自分の体から、自分の心に対して伝えて欲しいと思った。
……………
年上部下の派遣社員さんがお休みの日に、
「こんなに忙しい中、お休みをいただいて申し訳ありません。」と謝りに来る。
「権利だから堂々と行使してください。申し訳ありませんは要らないし、気を遣わせたことが返って申し訳ない。」と伝える。

生活に仕事があると、心と体を仕事に合わせなければならない。しかし、健康に生きていくためには仕事を心や体に合わせなければならない。
だからせめて、休みくらい、気を遣わないで欲しいと心から思う。
………………
プライム市場の1番エライ役員の方も、
大学病院の助教授だった彼も、
いつも疲れていた。

みんなに求められるストレス、
みんなに期待されるストレス、
命を預かるプレッシャー。

仕事の後に会うと、数日間の患者の数と失われた命のことについて堰を切ったように話出して、止まない。

役員の仕事も、
患者も、
役員や医師の健康に合わせてやってはこない。
みんな、自己都合で迫る。
その負担が、「健康に見える偉い人」「頑張ってくれそうな優しい人に」に行き着くのかもしれない。
……………
私は基本的に法律が好きで、それを活かせる仕事が好き。見えない心を見える文書にすることも好き。
たまに8時間、食事すら忘れ、離席をせずぶっ通すこともあった。
それは、心が元気だから。
しかし、その負担は身体にくる。月経の時に直近3か月分の苦悩がフラッシュバックし、頭痛で気を失うこともあった。

本来なら、健康に合わせて働けたら良い。人間にはキャパがあるのだから。しかし、生きていくためには、チャンスをものにするために会社や組織に合わせて人が変わらなければならない。そんなこと出来ないのに。
バランスを取りながら生きていくことは難しいとつくづく思う。
………………
最近、若手の人々が朝も帰りも挨拶に来てくれる。当然、心地よく嬉しいが、無理しないで、気を遣わないでとも思う。
まずは第一に自分で自分のご機嫌を取ってもらいたい。

動き回って、若手に自分を語るおじさんたちを見る。見ていて気の毒になる。対話の基本は50/50だよ。出社の度に30分の語りは、聞く人が疲れてしまうよ。

自社では5月8日から、テレワークとマスク廃止のアナウンスがされた。
テレワークでも成果は変わっていないのに「なぜ、出社」と思う。
おじさんたちの支配欲を満たすために、
社内のマスク警察の人の観察願望を満たすために、
優しい若手が苦しむ必要はない。

個のペースで働くことが出来ないのは理解する。しかし、成果に不要な「誰かの欲求を満たすこと」を重要視した硬直的運用で、人の健康を害する必要はないだろう。成果を出しつつ、人が各々の健康を担保できる環境になることは、そんなに難しいだろうか?
………………
冒頭の上司というか、同僚は命を断ってしまい、
現職でも会社から放出された人を数多と見る。

役員や医者こそ、
誰かのためにリスクを引き受けた優しい人こそ、
周りに気遣い過ぎてしまう立場の人こそ、

自身の健康に合わせて働いて欲しい。

せめて休みを取るときや仕事の遅れ程度のことは謝罪せず、堂々と休んで欲しい、納期ギリギリまでは仕事は遅れて構わないと思う。

休んだら堂々と戻ってきてもらいたいし、
挨拶などの気遣いは、元気なときだけしてくれるのでも充分嬉しい。
だから仕事の心がけは、他人からの気遣いを求めないこと。無理に気遣わないこと。

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