サヨナラの時〜今、会っている人は今日が最後かもしれない
ドアを3回ノックして入る。久しぶりに会った入社時所属部署の部長は、この4年間のコロナ禍でめっきり衰え、やつれてしまっていた。
「自分は社長でも、役員でもないけど、まずは謝りたい。合ったら間違えなく上に行くはずだったのに、能力を活かせず申し訳なかった。」
私は驚いてしまった。簡単にお別れをして帰るつもりだったから、朝から4時間も会議室で私を待って、謝意をくださるとは思わなかったのだ。
次の会社で管理職になることや、住むところを話すと、
「もっと教えたかった。」「管理職は大変だよ。まず貴女は話し方を変えないといけない。言葉も変えないと。主語は、『私』ではなく、『我々』にするんだよ。」
次から次へとこれからの話が進む。まるで私の昇進を喜び、サポートしてくださっているかの様に。
それは話の途中で業務課長に呼ばれ、退場するまで続いた。
帰りにポケットから「急で何も用意できなかったけど」と図書カードを渡してくれた。
私は、ずっとここにいて、もっと話したかったと思った。しかし別れと知ったから話すことが出来たのだろう。
心は、もっともっと、もう少し居たかったとの思いが溢れる。
………………
辞めるつもりはなかった。
しかし、代表取締役と仕事をする中で、何度もおかしなことがあった。
完成して、レッツゴーの時に仕事が消えてしまうのだ。
一度や二度ではない。完成の都度、全て。
コンプライアンス業務は、実施という時にまるごと別部署に取られ、
契約業務は消されていく。
私を嫌っている所属部署の課長すら、「こんなの代表取締役がやるといえばすぐ動くのに、ここまでくると鶴社長の政治力で潰されている。」と話す。
いつの間にか、代表取締役からの「待って」が増えていった。
「いつ話せるのだろう?」が「また消されたのか。」と、何ヶ月も続いた。
退職メールの返信にあった「あやとさんの力を活かせず大変残念だった」の言葉が、裏の何かを象徴していた。
…………………
精一杯働いた先が、サヨナラだったが、それは心ではずっと前から分かっていた。
「この会社、出る杭は打たれるんだよ」と伝えてくれた監査役の言葉を信じて早期に離れるべきだったが、「もしかすると」との希望を持って時をロスしてしまった。
それでも最後に親しかった人たちと、少しずつ話し、恨むことなく穏やかにお別れできたのは、最後まで味方でいてくれた人のおかげだったと思う。
業務課長の配慮で、現部署の部課長は来なかったし、誰の目からも理解を感じた。
…………………
一生働くつもりで入っても、儚く消えていく。それは能力ではどうにもならない。コントロールの及ばないところで動いていく。
まるで人の一生の様に。
心の中で整理のつかない気持ちが溢れ出す。理不尽さ、誰かに聞いてもらいたい思い。聞いてみたかった本音。
「どうして私を雇ったのか。」
あふれかえる感情をよそに、次のミッションは待つことなく訪れる。
「管理職として、会社全体に法教育を浸透させて欲しい。」
もう何日かでここを離れ、港区に戻る。
人生に訪れるサヨナラの時は、足音もなく突然訪れる。しかし、サヨナラは訪れるべくして訪れる。なぜなら、自分がここは違うと気づき、自分を取り囲む空気もここではないとの雰囲気を纏っていたから。
…………………
知りたかった真実を言葉に変える勇気はなく、ただひたすらに待つことしか出来なかった。動いていた政治力の原因も、「一緒にやろう」と言ってくださった代表取締役たる上村専務の本音も、耳にすることは出来なかった。
ずっと待った虚しさが今も心を埋める。
それでも何もどうにもできない。ただ見切りをつける決意をするかしないかの選択肢しかない。
それなら充分やったからもういいじゃん。ただファミリーカンパニーはもう勘弁かな。
サヨナラ。
とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)