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あの雰囲気ができる理由〜悪口屋は舌に、聞く人は耳に悪魔を持つ

自分さえ真っ当な人間であれば良いと思っていた。体調が一向に良くならない私に指圧の先生は「これだけ回復しないのは貴女の心にも原因があるのかもしれない。あなたの体はもう我慢が効かない身体だよ。嫌なことは嫌と言いなさい。」
何も言わずに堂々といることが格好良いと思っていた当時の私には、NOと言う選択肢は存在しなかった。

「自分がまともならそれで良くないですか?」
私は他者と関わりながら生きていく世の中で、関わりを断つような発言をしてしまうコドモだった。
「そうじゃなかったね。」
先生は更に話す。「おかしいものはおかしい。男は言われないと分からない。言ってやりなさい。」

色んなきっかけや大人との出会いでゆっくり少しずつ私は伝えることのできる人間に変わっていった。
あの頃のお子様みたいな自分より今の自分の方がずっと生きやすく、何よりずっと好き。
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一番嫌だったのはその場の雰囲気だった。
こっそり「りりい、澤○に悪口言われていたよ。」とチクってきた細○が、私のストーカーの主犯格だった。
味方と見せかけた振る舞いをする人が一番危ない。
そもそも「○○が悪口言っているよ」とチクってくる人の精神は、私からの恩が欲しいか、マウントを取りたいかであって、対等に大切にし合う関係ではない。

こうやって声の大きい人たちのコントロールで出来たクラス全体の誹謗中傷は、多数決で正当化され、誹謗中傷されている人を価値の低い人間として見下すことが許される。その雰囲気が何よりも、憂悶だった。

ドイツの諺はこの雰囲気の原因を的確に示す。
「悪口屋は舌に、聞く人は耳に悪魔をもつ」と。
さらに悪魔について、ドイッチュリーンは「凶暴な未熟」と表現する。
また、作家 故三浦綾子氏の言葉を借りるなら「泥棒と悪口とどちらが悪いか」となる。
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多種多様な意見があって、様々な行動があって良いと思う。

「○○が悪口言っているよ」とチクるのが優しさと思うなら、それは善良であり得るし、

「アイツ詐欺にあったんだって」と大声で秘密の流布をする人の会話に便乗し、真偽を確かめずに被害者を避ける行動もまた自分の安全のためには必要かも知れない。

そしてそこから派生した悪口も侮辱罪という犯罪にはなるがおそらく逮捕されない事実上の無法地帯。それならやったもん勝ちと陰で誹謗中傷を繰り返し、自分が誹謗中傷の的にならない安全地帯でストレス発散するのもありだろう。
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ただ私はこれらの行動に同調出来ないし、被害者を見下した雰囲気づくりに加担することは、自分の心が拒絶する。

長い物には巻かれハラスメントに加担する人間が、そして、こっそり優越感に浸っている人が私は恐ろしいと感じてしまう。ほとんど関わったことのない人間を知り尽くしているかのように罵詈雑言で罵る誇らしげなあの目を思い出すから。

ハラスメントを知りつつ自分だけが逃げ隠れ八方美人として両者に良い顔をする人は他の獲物を生贄にし、逃亡する動物と何が違うのだろうか。知性ゆえここに嘲笑いが加わる人間は、動物以上に恐ろしいのではないか。
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真偽を確かめず、ほとんど話したことのない被害者について、加害者の発言に乗っかり嘲笑するあの雰囲気。それは、心情の古代的偏狭さに依存した凶暴な未熟者が作った監獄。魂のある人間を押し込むところではない。

だから悪口屋には、お願いをする。
私の前では彼女の人格非難することは辞めて、真偽不明の噂を根拠に人を陥れることに巻き込まないでと。

更に被害者本人が行動を起こしたなら自分は聞いた真実を証言したいと思う。嘘と真実を都合よく混ぜ合わせることで正当化された誹謗中傷があったと。

なぜなら私はあのときのコドモで居た次元ではもう生きていないのだから。
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素晴らしいコメントやメッセージをくださる皆様、いつもありがとうございます。沢山の学びや気づきがあります。特にしんどい反響の後の記事でいただいたコメントは私の救いになりました。

こちらの記事は未発表の予定でしたが理由あって発表致しました。多種多様な意見がありますが、行動するもしないも、全て個の自由だと私は思っています。詳細な事情のもと、ケースバイケースで対応の要否が決まると考えているためです。

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