見出し画像

豊かな心を色とりどりの版画に乗せて〜世間に従うのは意外と難しい(棟方志功展)

これは嫌われるだろうと思った。描いた線は、世間の価値観を一蹴し、思いのままに生きているかの様に、人々には映ったのではないか。実態は貧しく、苦労に苦労を重ね、節約しながら生活をし、自らが描いた絵に「貯蓄」と書いたとしても、愉快なユーモアに見えてしまうのだ。

白黒の世界から脱し、色とりどりの大きな版画で人々を魅了したのは、海外で評価を得られてこそであった。決して日本ありきではない。
……………
私が見てきた人の多くは、世間の価値観の中で生きている。みんなと同じは安心し、外部の人間に目くじらを立てられない安全な世界なのかもしれない。何より他人の真似事をしていればよいのだから、楽と感じるのだろう。

しかし、私が思うに、世間の価値観に縛られて生きていくことは、意外と難しいのではないだろうか。
……………
組織で働いていると、様々な人がいる。そこで1つのチームを作らなければならないから、人の目立つ部分、言い換えれば角、それを折るために「同僚の真似をしろ」と上司から指示される。しかし、上司が見ている同僚と、私が見ている同僚は別人格。上司には報連相を徹底した近づきやすく親しみやすい人も、私にとっては仕事を盗んだり、囲ったりする冷たい人。だから私は独断で動いてしまっていた。そうすると再度上司から「よく見て。」と言われる。

そう、上司からみた同僚をよく見てとのことなのだ。こうして組織の価値観に従い、同僚を親しみやすい報連相を徹底した男性として見ていくことは、私の認識とは反するもので難しい。

きっと、同僚にチャトすればスルーされるか、仕事を乗っ取られてしまうだろう。苦痛で送信ボタンを控えた。
……………
更にこれが上司の価値観ではなく、世の中の価値観に巻き込まれることは、一層苦しいのではないか。

戦後で工作員や事務職、先生になる方が多い中、画家として生きていく。

敗戦後で元気な心を隠しながら生きていく人が多い中で、伸び伸びと絵を描く。例え貧しく苦しくとも、そんな様相が見られない絵を。

四方八方から人々からの顰蹙をかうことも、偏見を持たれることもあっただろう。しかし、彼は貫いたのではないだろうか。それでも命尽きるまで続けてきたからには、彼にとっては世間の不幸な感情づくりに屈するより、絵を辞めることのほうが難しかっただろうと私は思う。
……………
世の中の動向に左右されず、心が健康でいることは容易ではないとしても、
自分の心の声に従って、自分の能力を信じて、生活すら省みず、人生を邁進できたのなら、
例え如何に貧しくとも、華美な生活ができない戦後の環境であっても、
豊かといえる生き方であろう。
そして、自分の心のままに生きていけることは何よりも幸せではないだろうか。

私の家族が棟方志功さんの生徒だったこともあり、私も小学生の頃からカラーの版画を彫ってきた。ただ1枚だけを刷り上げるのに何カ月もかかる。

にもかかわらず、棟方志功さんは幾枚も版画を残している。尋常ではない。きっと溢れてきたのだろう。

そしてこれらの作品は、暗い世の中を鮮やかにする、元気なものであり、
彼が亡くなってもなお生き続けているのであった。


とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)