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キタキタ高校物語⑲Cウィルス禍の所感

いたってマジメに映画監督を目指しているけど、ヒョン太の言うように聞こえます笑。
進くんは未来の高校生なんですけど笑、この経験は強烈なので漫画にしてみたかったですね。

 青天の霹靂っていう青森県のお米があるけど、青天の霹靂って、まさに、あのコロナの緊急事態宣言だったなと思います。
 特に教育関係者だったので、生徒がまるっと3月休みっていうのは、なんだ?いったい?授業のまとめはどうなる?そのまま4月が来て、新しいクラスに突入?と、意味不明に衝撃が走りました。
 私の姉は、そんな時、退職だったので、複雑な気分だったろうなと思います。悪く言えば、自分のシゴトの終わりがぼやけてしまった感じ、よく言えば、生徒もいない学校でゆっくりと自分のシゴトの後始末ができる。
 
 それに、この後、学校現場を襲う、コロナ対策のあれこれ。
 その面倒くささを感じないですんだのは、まさにラッキー賞だったと思います。

 姉と三歳違う私は、その後、コロナ禍の3年を過ごしました。
 いや、ホント、笑えるような笑えないような出来事がいっぱいありました。物事が真剣過ぎて、滑稽味を帯びてくるということです。

 もっとも、印象的だったのは、新任式で、新しく転勤してきた先生方が、マスクをして登壇し、若いのか年取っているのか、誰が誰なのかさっぱりわからなかったことです。
 これは何か悪いギャグを見ているのか?という気分になりました。

 その後の入学式も然り。
 新入生も、校長先生並びに職員も、保護者も、全員、マスクをしていて、これで出会ったと言えるのだろうか?と思いました。

 この時、私は、前期に人間の顔を3回描くという授業をやっていました。初めに「級友」→次に「好きな人(写真)」→「自画像」と3回描きます。この3年間、初めから互いのマスクをとらせる授業だったことが、不思議に思いますが、一つの危惧がありました。

 絵に描いてみるまで、その形をよく知らないと気が付くのはよくあることですが、人間の顔で特に難しいのが、鼻です。生徒は苦労していました。今後、コロナ禍が続いて、ずっとマスクをしたままだったら、ますます、生徒は鼻や口というものを見る機会を失い、この授業は立ち行かなくなるのかもなと、想像しました。しかし、自分の経験した3年間では、その違いはあまり感じませんでしたが…。
 杞憂とはよく言ったものです。そうなってから、悩んだ方がいい。
 起きるか起きないかのことを心配してもしょうがないものですね。

 さて、実際教師の、生徒のいない3月はどうだったのでしょうか。教師は生徒と違って出勤だったので、みなそれぞれのペースで仕事をしています。生徒がいないところで片付けられる事務仕事が大層はかどっていました。読書している国語教師もいました。いいな、あんなふうに、今年度の仕事をすべて片付けて、私も優雅に読書したいと思いました。
 週一の出校日に合わせて課題を作る人、リモート授業にチャレンジする人、いろいろな動きがありました。
 私はふと、これはオトナの部活をやるときかも?と、脂肪燃焼クラブや、映画鑑賞会、津軽弁の飲み会等をこっそり開きました。
 普段は仕事に追われる忙しい教師陣に、ふと訪れた少しのチャンスでした。

 さて、生徒たちはどうだったのでしょうか?

 この時、私は、世界が終わるかもしれないなと思い、小説&エッセイみたいな話を104話書いたのですが、その時、自分が作ったある少年の気持ちを借りると、まさに、喜んでいました。
 きっと自分が高校生でも、やった~!やり~と喜んで、毎日、家に居たと思います。きっとマンガを描いていました。
 少年は、自分の好きなことで、時間割を作り、体育(カラダを鍛える)、美術(美術は好きな教科で進路に選んでいる)、家庭科(食事の支度)、国語(読書&本の実践)、保健(お風呂に入ることw)等々、実践して行きます。そんな少年がいたら素敵だなという空想です。

 ソロ活動好きな進君も、きっと、このコロナ禍の3月に存在したとしたら、黙々と、好きなことで一日を埋め尽くしたに違いありません。
 友だちに会えないのは、ちょっとネックだけど、友達って、いつ会っても、何年経っていても、一瞬で友達に戻れるから。

 神から与えられた自分と向き合う1人の時間だったのでは?と思うのです。


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