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これはいったい何なんだろう?

 昨日、金髪で火葬場に居た。

 ダンナは、5人姉妹兄弟の3男坊で、その長男の火葬だった。

 私が結婚した時に、当然、嫁姑問題があるのかと思ったが、そんな困難は皆無だった。
 実は私はダンナの実家に行ったことは一度もない。
 結婚の時も、後もである。

 さすがに能天気な私でも少しだけ、そのことが気になっていた。
「お正月とかお盆に、一度くらい挨拶にいこうか?」
と、ココロにも無いことを言った。

 ダンナは、
「お前はうちのメンドクサイ親戚関係に巻き込まれたいか?」
と鋭く私に聞き返した。
 私は、ソッコー、
「いや、全く巻き込まれたくありません!」
と本音で答えた。

「いいか、あの家に行けば、お前は何かと、頼りにされるようになるかもしれない。あの家で、俺は3男坊。
 長男も次男もいるんだから、そいつらに任せておけ。
 俺はお前の家にはいるから、いいんだよ。」

 その言葉通り、ダンナはいつも盆正月、私の実家に一緒に帰り、私の家族、母と姉と、とても打ち解けていた。私の家族は、父が早くに亡くなって、母が苦労したが、女3人で、とても自由に、平和に過ごしてきた。
 ダンナの家の事情ははっきりとは知らないが、バンドマンの父は、横浜から三沢の米軍基地まで流れてきたドラマー、ちゃぶ台をひっくりかえして母を泣かせるような人で、兄弟の暗黙の了解で、あのような父親には絶対なるまいと誓いを立てていたらしい。
 一番上の長女は早く就職し、兄弟の面倒を見てくれて、姉に買ってもらったというグレイのスーツがあった。その下の長男はバンドマン全盛の頃の最後の人、バブルのようなバンドマンの栄華を知っている。離婚して、今は天涯孤独なまま、1人で病院で亡くなった。
 長女が亡くなり、母が亡くなり、父も亡くなった。そして今、長男の死。

 私が関わったのは、ダンナの父母のお葬式だったが、挨拶にも行ったことのない家なので、正直、居心地の悪いものだった。
 しかし、そうまでして、ダンナが自分の家から私を守ろうとしたものはなんだったのか?一見親し気な家族のやり取りの中に私を全く入れなかった。

 ダンナが、一度、家族のことでごたごたして泣いていた。何があったのかは一言も言わなかったが、言わないことで、この問題に私を関わらせなかったと、あとから思う。ダンナは一番遅く実家を出たから、家族の問題をその都度解決していたのではないか。

 そんな風であるから、長男が、かなり具合が悪く入院するらしいという時も、いたって淡々としていた。

「全く。兄貴も、家族に迷惑をかけずに死ねないものかな?」

 と至って、クールであった。そして、入院の前の日に、
「借りていたサックスを返すから取りに来て欲しい」という兄の電話があり、渋々、次男と2人、待ち合わせて出かけて行った。

 思ったより、早く帰ってきたダンナが、にやにやしながら、
「おい、あやのん、これを見ろ。大変なものを持ってきた。」と言う。
 ダンナが持ち帰ってきたもの、あわてて物置の棚にいれたもの、それは父と母のお骨と、位牌であった。楽器を返すというのは便宜上の話。
 次男から、お墓も無いので、共同墓地に入れたいが、お金も無い、一つ6万5千円ぐらいかかる、「頼む」とダンナが頼まれたとのこと。

 なに?(怒)と、もっと安く済む方法はないのかとネットを検索してみたが、もっと怒っているはずの本人が、もうこの問題に関わり合いたくないとお金を出す気でいるので、私も手を引いた。

 傍で見ていても、これは3男の君がやることか?と思うことが山ほどあるが、それができるのはうちのダンナしかいないらしい。聞くと、父母の葬式代を出したのも彼だそうだ。小林正観さんの本的に言えば、この厄介な問題のある家族の問題を解決するために生まれてきた運命なのだろう。

 火葬の日、葬儀場に10時集合、10時半出棺、11時火葬、たぶん12時ぐらいまでかかるだろうと予測して、喪服を来て出かけた。
 
 肉親のダンナがそんな気持ちでいるのだから、感情移入ゼロの自分は、そこにはただ付き合いだけでいる。不謹慎だが、昨年、亡くなった母が大好きな人々に取り囲まれて時間をかけて行ったさまざまな儀式とはまるで違っていると残念に思いながら列席していた。
 出棺を見守る人々が揃う間、話すことも特に無い人々が、ただそこにいるという気まずい時間。次男が、「そういえば、兄貴の写真があったんだよ!」と思い出したように、車に写真を取りに行った。
 戻ってきて手にした写真を見ると、りっぱな遺影になりそうな、アルトサックスを吹いている大きな写真が2枚あった。バンドマンの息子に生まれた長男と3男は、確かに楽器を演奏する男たちなのである。

「いいね!カッコいい、この写真いいじゃない」と陽気に言っていたダンナが、途端に「う・・・」と詰まった。
「涙が出てきちゃったよ」

 びっくりした。今、泣いたよね?

 父の葬式では泣かなかったダンナが、お母さんの顔をお棺に見に行った時に、やはり泣いていた。君、泣いていたねと言ったら、だって、おかあさんだもの、と言う。

 しかし、まさか、長男の写真で泣くとは思わなかった。

 その後、娘さんが駆け付けてくれて、火葬の間、彼女がりっぱに飲食店の店長をしていること、料理長と結婚して幸せであることの話が聞けて、よかったな、と思った。

 全てが終わり、雨の中、長男のお骨も持って、家に帰ってきた。
 したがって、今、うちには、お骨が三つある。(可笑しいけど、これほど笑えない状況があるだろうか!)

 すべてが片付いたわけではないが、ひと段落してホッとした我々は、いつものように晩酌をしていた。ダンナが、
「それにしてもこれはいったい何だったんだろう?」と不思議がっている。
「写真を見た時に、ぐぐぐぐっと腹の底から、何か来たんだよ」

「不思議だね。でも、君が泣いてよかったよ。
 死んで誰も悲しむ人が居ないのかと思っていたからさ。」
 次男も泣いて、三男も泣いていた。
 そういう火葬でよかった。

「あれがなんだったのか記事に書いた方がいい」
とダンナが変なことを言ったので、今、記事に書いてみたところです。