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キャリアアドバイザーが『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んで考えた転職の正解

話題の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆著)を読んだ。
この問いへの解として、読書はノイズ(他者や歴史や社会の文脈)が多いから、というのが著者の主張だ。単に長時間労働という時間の問題だけでなく(実際に働き方改革も進んでいる)、ノイズを受け取れない余裕のなさ、つまり仕事以外の文脈を取り入れる余裕がない社会の問題であると主張している。そして、その解決策として、仕事に全身全霊をかけるのではなく、半身で働こう、というのが著者の提言だ。

読書好きの著者ですら、就職して社会人になると読書ができなくなったという。私もやはり、人よりは本を読む方だと自認してきたが、新社会人の頃や、子供が乳児の頃、転職してしばらくは、本を手に取れなかった。
読む気になれない、時間も頭の中にもそんな余裕、余白がなかった。

著者や私にとっては読書だが、これを労働によって侵されてしまう、「個人的な時間」に置き換えてみれば、誰にでも経験のあることなのではと思う。例えば映画館で映画を観るとか、山に登るとか、絵を描くとか、健康で文化的な、時間のかかる、ある意味では非生産的な趣味的活動たち。

転職して自己実現したい人たち

私はキャリアアドバイザーとして毎日転職の相談を受けるが、「ワークライフバランスを整えたい」という転職理由が8割くらいを占めると感じている。

長時間労働が辛い、業務量が多くて業務効率化が追い付かない、こんなに時間をかけているのに仕事に意味が見いだせない、同じ時間働くならもっと給料のいいところへ転職したい・・・

単に「労働時間を減らしたい」というシンプルな話ではなく、「今よりは負担を少なくしたいが、より良い仕事をして充実感も得たい」に近い。

そこで転職先として希望する仕事の内容で多いのが、営業という数字のプレッシャーのある仕事に疲れてしまったので、社内の人のサポート的な仕事がしたい、それが自身のやりがいにつながるから、というもの。
あるいは、会社都合で売るのではなく、自分のアイディアが活かせてもっと裁量のある仕事がしたいので企画職に転職したい、という方も多い。

つまり、「働きがい」と呼べるような、健全に好きな仕事に打ち込める環境を欲しているのだなと感じる。こういった傾向は著者も指摘している。

自己実現、という言葉がある。
その言葉の意味を想像してみてほしい。すると、なぜか「仕事で自分の人生を満足させる様子」を思い浮かべてしまうのではないだろうか。
趣味で自己実現してもいい。子育てで自己実現してもいい。いいはずなのに、現代の自己実現という言葉には、どこか「仕事で」というニュアンスがつきまとう。それはなぜか? 2000年代以降、日本社会は「仕事で自己実現すること」を称賛してきたからである。

三宅香帆. なぜ働いていると本が読めなくなるのか. 集英社新書, 2024, 185p

私自身、2000年代に中高大と学生時代を過ごしたのでこの時代の風潮にどっぷり漬かっている自覚がある。
まさに、仕事とは自己実現と同義だと思ってきたし、仕事に熱狂することはかっこいいし、自分にしかできない仕事をするのだ!と、職業選択の狭い田舎を出て東京で就職した。(余談だが著者の三宅さんと同じ高知出身)

「好きなこと」「やりたいこと」をベースに進路を選択することが推奨され、実際に仕事が始まると資本主義社会ではどうしたって数字のゲームに巻き込まれる。結果、「競争」と「個性の発揮」の両立というジレンマを抱えることになる。
いやむしろ、競争をして成果を出すためにも、そこに耐え得る仕事の意味付けが必要で、やはりそれは「好きなこと」「やりたいこと」である方が好都合、なのかもしれない。

本業で全て叶えようとしなくていい

とはいえ、この風潮は「やりたいことがない」「本当に自分がやりたいことが何なのかわからない」という人を生み出してしまっていると著者は指摘している。
実際に私も日々の面談でもそういう悩みを持っている方が多いと感じる。

「今よりもワークライフバランスが整って、年収はアップして、やりたいことができる仕事」を私も一緒に探すけれど、残念ながらその最適解がない場合もある。
主に、厳しい話だが転職者本人のスキルや経歴から、望む仕事に就くことが難しい場合、どこかで折り合いをつけなければならない。
そういうとき、私は提案することがある。「全てを本業で叶えなくて良くないですか?」と。

市場から求められる得意な仕事で安定的に給料を得て、好きでやりたいけど食べていくほど稼げないことは、趣味やボランティアや地域活動などで取り組み、経験を積んでいってお金になりそうなら副業、むしろ複業にしていくのはどうですかと。

別に、本業一本でやりがいも年収も叶えなくても良い。
それこそ、半身で仕事して、半身で自己実現したらいいじゃないですか。
必ずしも、仕事で自己実現しなくてもいい。
競争や目的や数字みたいなものがない世界で没頭する趣味的活動の豊かさ。
これを得るために、半身で仕事したらいいと思う。

そう言いながら、やっぱり私はキャリアアドバイザーなので、目の前の人の「仕事での自己実現」を応援したい。
私自身も仕事にやりがいを求めているし、自分の強みを活かして他者に貢献しているという実感が、日々の充実感、幸福感につながると思うから。

半身は面倒くさい

しかし私はやっぱり、あえて言いたい。全身、自分の文脈をひとつに集約させた何かにコミットメントするのは、楽なのだ。

三宅香帆. なぜ働いていると本が読めなくなるのか. 集英社新書, 2024, 256p

全身全霊を仕事に捧げる、育児に捧げる、趣味に捧げる・・・どれにしたって、良い点悪い点がありとても楽ではないということは大前提として、あえて著者は言っている。他の文脈を考えずに何かにコミットすることは楽だと。

逆に、仕事と家庭と趣味と副業と地域活動と・・・、いろんな活動の調整に自分と言うパイを割いていく、その配分を考えることの方が面倒くさい。そりゃそうだ。だから昭和の男は外でモーレツに仕事して女は家庭を守ったのだ。

私も独身の頃を振り返って思う。仕事だけしていればよかったのって、楽だったな。いや、仕事は辛かったし、決してそれ自体は楽ではなかったけど、でも今よりもっとシンプルだった。
結婚して、今日の晩御飯、こないだ旦那さんが足りなさそうだったからもう1品追加しないとな(面倒くさい)、子供が産まれて、さらに仕事復帰して、仕事に着て行く服を買いに行く時間と子供の発熱対応と、え、晩御飯?好きなもの食べとけよ、、(面倒くさい)

あー。面倒くさいけど、私は仕事と家庭の両立とやりがいの追求がしたいのだ。
だから、もっと効率的に働きたいし、もっと読書したいし、家族との時間も大切にしたい。

半身で働くための「習慣」

ここで、はたと気づく。最後は結局、習慣が大事なんじゃないかと。
実際、私は習慣によって、朝早く起きて読書や手帳を書く時間を取って充実感を得ている。そのために早く寝る必要があり、そのために仕事を早く終わらせる必要がある・・・。
私、半身で働いているのか?世のワーママ・ワーパパは割と、半身で働いているのかもしれない。

長くなってきたので、半身と習慣についてはまた次回書く。
タイトルで「正解」などと強い言葉を使ってしまったけど、これは一人の読書好きワーママで職業はキャリアアドバイザーの私が読んで考えた感想であり、会社の見解でもましてや正解でもないということを最後にお伝えして終わります。

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