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人生はBとDの間のCである

人生はBとDの間のCである

ジャン=ポール・サルトル

人の一生は「Birth(誕生)」から「Death(死)」の間の「Choice(選択)」で決まる、という哲学者サルトルの言葉。
上手いこと言うなぁ、サルトル。

確かに、生まれ方も死に方も選べないけど、生き方は選べる。
人生は選択の連続。どのように生きるかは自分で選ぶことができる。自分の選択次第で人生は変えられる。
そう、「変える」も「Change」でCなのだ。
他にも、Cから始まる、人生に大切な言葉達を思いついたので書いてみる。

・Chance(機会)
・Challenge(挑戦)

つまり、人生はChanceをChoiceしてChallengeしたらChangeできるということ。
ルー語みたいになってきたけど、そういうこと。
ここまではサルトルも思いついてなかったんじゃないか?

Cがつく単語でもうひとつ「Competition(競争)」がある。
経済発展のためには競争が避けられない(と言われている)が、その限界も感じていて持続可能性のある働き方とは?を模索しているのがまさに今の世の中だと思う。
競争、数字、目標達成。それだけではいつか燃え尽きてしまう、空虚さもある。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』著者の三宅香帆さんと『死ぬこと以外かすり傷』著者の箕輪厚介さんの対談の中で、三宅さんが競争と表現について話されていてハッとさせられた。

三宅『かすり傷も痛かった』の中で國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)が出てくるじゃないですか。國分さんが書いているのは、「人はパンを求めて生きざるを得ない生き物だけど、同時に、バラを飾ることができる生き物でもある」ということですよね。これって、私は自己表現の問題だと思って。つまり、競争に対抗できるのは表現なんじゃないか、と思うんです。箕輪さんが今おっしゃっていた「競争」のむなしさは、パンだけを求めるむなしさだと思うんですよ。でも、「生活」をやるだけ、つまり今のバラの飾り具合だとあんまり満足できていない、ということですよね……。お話を聞いていると、もっと飾ることに夢中になれるようなバラ、つまり自己表現が足りていないのでは? と感じたのですが、そういった「表現」の瞬間は今の箕輪さんの中にあるんですか?

集英社新書プラス 対談「競争中毒」をやめる方法

これは私も納得するところがある。仕事だけ、目標達成だけ追い求めるよりも、それとは別のところで自己表現の機会があると生活が豊かになる感覚。
私にとってそれは文章を書くことであり、ある人にとっては歌う事や絵を描くことや、プラモデルを組み立てることかもしれない。
評価されることを目的としない、表現、創造、主体的な芸術活動。

サルトルに1つだけ注文を付けるとしたら、Aから始めてほしかった。それだけちょっと気になる。
なので私が勝手に付け足してみた。

人生はABCDEである

細田理菜

人生を豊かにするもの。それは「Art(芸術)」と「Expression(表現)」。
BCDが人生だとしたら、その人が死んでも尚、表現は後世に残る。
優れた芸術作品じゃなくても。物質ですらなくても、その人が楽しんでいたことは周りの人の記憶に残る。

もちろん、仕事やその結果が最大の自己表現なのである!というのも大いに賛成。それ絶対幸せ。
とにかく、仕事でも趣味でも、何かに打ち込む「Flow(没頭)」があれば人生は豊かになる。
ということで、前言撤回。

人生は、ABCDEFである

細田理菜


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