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正しいとか、正しくないとか

「今からまりちゃんのこと、無視しよう」

あまりに唐突なその提案に、わたしは面食らった。
誰かを無視する? なんで? どうして?
自分がされたら嫌なことは人にはしちゃいけないって、先生に教えてもらったよね?

「なんで無視すんの?」

「まりちゃん無視したら、絶対”なぁなぁ”って言ってくるから!」

全然理由になんてなってないんだけど、返ってきたこの言葉の強さと、有無を言わせない感じに圧倒されて、全面的に賛成できないなりにも答えてしまった。

「うん、わかった」

結局、その”遊び”は1時間もせずにみんな飽きて終わったし、わたしはまりちゃんから話しかけられることがなかったから、無視するようなシチュエーションにすらならなかった。

でも、そこから数日間、その遊びはターゲットを変えてずっと続いた。
ある日はのんちゃん、またある日はまゆちゃん、最初の言い出しっぺだったはるちゃんも、ターゲットになった。


小学校1年生の時の、たった1週間ぐらいの出来事だった。
仲良しグループの中で起きたあの時のことを、わたしは今でもよく覚えている。


「やめようよ」

その一言が、言えなかった。
言ってしまったら、無視されるターゲットがわたしになるかもしれないって思った。

でも、誰か特定の人を積極的に無視をすることも、わたしには出来なかった。

誰かが嫌な気持ちになるようなことをすることが、わたしには出来なかった。


でもそれは、正義感でもなんでもなかった。

「誰かが嫌な気持ちになるようなこと」は、「誰か特定の人を無視すること」もそうだし、「みんなでやってる”遊び”に参加しない」こともそうだった。

「あたしは無視しない」なんて言ってしまったら、きっと言い出しっぺのはるちゃんが嫌な気持ちになってしまう。
でも、無視したらまりちゃんが嫌な気持ちになってしまう。

どうしたらいいのかわからなかったわたしは、どっちつかずの、そしてどっちにもいい顔をした。
一番ずるい、選択をした。


自覚はなかったけれど、きっとあれは小さないじめのようなものだったんだと思う。
みんなただのお遊びだと思っていたけれど、あの時エスカレートしていたらと思うと、ゾッとする。


みんなにいい顔なんて、できない。八方美人になんて、なれない。
あの時のわたしにはどうしたらいいのかわからないかった。

でも、今のわたしならもっとうまく切り抜けられる。

何が正しくて、何が正しくないのか。
誰かにとっての正しいは、きっと他の誰かにとっての間違いなのかもしれない。わたしにとっての正しいも、誰かにとっては全く正しくない事なのかもしれない。

でも、自分が信じたい道を行く事が自分の正しさなら、素直にそれに従ってしまえばいいんだと思う。


誰かの顔色をうかがって、うまくやりくりすることが、人生の全てじゃ無い。出会ったり別れたり、転んですりむいたり、失敗して凹んだり、そんなたくさんの経験をして、人は成長していくんだと思うから。


ちなみに、なぜかわたしは無視されるターゲットにはならなかった。
いや、もしかしたらなっていたのかもしれないけれど、ターゲットになっていたことに気が付かなかっただけなのかもしれない。
全く、鈍感すぎていじめがいのない、ただの幸せなやつなのかもしれない、わたしってやつは。



今日もおつかれさまでした。良い週末を。





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