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『私の選択と責任』『音楽性と大切度』




うんうん。勉強しました

色々なかたがいらっしゃいますね。
ご参考までに。
(皆様ご存知の通りです)

ASD ”悪意はない”が”傷つけること”がわかりにくい | ロココブログ

自閉スペクトラム障害 | 仙台の心療内科・精神科・美容内科マドレクリニック



「先生、目上の人、友だち、年下の人など、
相手に合わせた言葉使いができない」

「誘いを特段の理由もなく断り、その後誘ってもらえなくなってしまった
一緒に遊んでいたのに、他に興味が移って抜けだしてしまい、一緒に遊んでいた相手を怒らせた」

「その会話の裏側や行間を読むことが苦手
人の言葉を勘違いしやすく、傷つきやすい」

「思ったことを口に出したら、相手が怒ってしまった
人を傷つけることを平気で言う。」

「相手が傷つくということが想像しにくい
受け取った相手の気持ちを慮れない、寄り添った言動が苦手」




なるほどですね…。 承知です。

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色々なかたがいるのですね。

《私の場合》

おそらく私の実家や肉親、親族たちも
なんらかの精神疾患なり
知的・発達・人格障害なり多くあったろう。

そこで育った私だって、しかり。


私は子供の頃から母親や家族との関係で、

「相手の言う通りにするしかない」

「何を言っても 何も言わなくても
何をしても 何もしなくても
傷付ける」なら 
もはや自分としては何もできない

「相手を思って
自分をないがしろにしてしまう」を
やりすぎて、


私は自分自身が「かなしい」と言ったら
他人に「かなしい思いをさせてしまった」と
恥をかかせるし、


私は自分自身が「傷ついた」と知らせたら
他人に「傷つけてしまった」と恥をかかせるし、


もう本人にも直接いえない、
かと言って周りの人達にも相談もできない、
他人に周知させることもできない、
SNSやコミュニティやブログやnoteは
公開処刑のようでしたくない、
(昔は家族のことすら何一つ書けなかった私)
黙っているしかない


そういう思いをさせてはならないと、

「言えないと思い込み抑圧している事が辛い」

をやってたのだけれども…、




恐怖政治系や命令・服従させる系の
不機嫌や意見 反論 忠告 注意は
害だけども、

友達とか家族はそれをやっても
信頼関係あるし
間違うし失敗するのが人間なのだし、
それでも別にいいわけですよねえ。


慣れたら段々ダメージ負わなくなるし
それがお互いに大丈夫になってくる関係が
いいんだな。


相手のパターンをいっぱい見ること、
ずっと待てること、
傾向を勉強すること、
長く時間を過ごせること。
それが一緒でもOKな人。


そういう練習をたくさんしていくこと。
そんな成長をお互いに決め付けないで
ともに進んで歩んでいけること、人達。
それを選んでいくこと。
その選んだものに責任を持つこと。



そういう関係性を他人との間柄で
構築してこれなかった、実家や人生で。
私に足りないのは、それ。



そうしていくうちに、

「言っても大丈夫と思えたら改善される気がする」


私自身の問題は
「言うか・言わないか」よりも、
「言えないと思い込み蓋をすること」


まず思ってもいいし
言ってもいいし
選んでもいいし
怒ってもいいし
嫌がってもいい
断ってもいい


その時に、一呼吸、土台を作ってから、
バランス良く
伝え方に気をつけること。
言われた事は 心に残るので。

それなら言ってもいい場合がある。
(もう言いたくないなら 言わない選択肢もある)


相手に恥をかかせないように、
だけれど、
自身の気持ちもないがしろにしないように。

「すみません。お話し聞いてくれますか?
そういう言われかたをしたら、
『かなしい』ですので、やめてもらえませんか」

「質問してもいいですか?」
「相談してもいいですか?」

など。


そこには、『大切度』がある。
大切な人へは、根気よく。
今後とも続いて繋がる仲なのかで変わる。

それほどでないなら、ほどほどでやめる。



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私は相手や周りや他人が

「言ったら可哀想だから」
「体調が悪いかもしれない」
「メンタルが不調そうだから」
「他に事情があるかもだから」
「聞ける気分やタイミングでなさそう」
などなどを考えすぎる。


今後とも末永くじっくり続く間柄なら
時期を待っていいけれども、


そうでないなら、
相手の立場を考慮した上で
自分の立場も考慮することで
伝えられることもあるかもしれない。



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あとは、

私自身の、私の中の
選択と責任だな。
これが私は苦手。

いかなる理由であれ、
どんなものが起こっても、

それはすべて
私自身が選択したものに
付随するものである。
たとえ理不尽でも、納得して
引き受けること。



芥川龍之介の『杜子春』の
主人公と親子のすがた

私は人間性が未熟で
実行するのは難しいのだなあ。


100対100の(良い事と悪い事のセット)
願望や欲望や意志が
あるとして、
どちらもは選べない。
選んだほうが自分の責任。

「私が守って積み上げてきたものを
守り通す責任」
「不本意さも自分の選択とセット」
「そんな時間はあるのか」
「周りの他人までも私の責任に感じてしまってないか」
大切度で今後とも末永く続く事柄か」


音楽性と大切度を 
磨いていきたい。



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