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いま、どこにいる?

多分年を重ねてある年齢を超えたときから、心と頭は未来か過去に生きることが長くなったきがする。

もしくは自分ではない他人について考えることが増え、ふときがつくと自分という軸がわからないようなきがして、今この瞬間を楽しむ方法をすっかり忘れてしまっていた。

原因がよくわからない心の空洞。
”いまを生きられていない“そんな言葉が浮かび上がってきたけど、いまを生きるってなんなんだろう?
自分っていままでいったいどこにいたんだろうな。
ずっとここに居続けていながら。
ずっとここに居続けてくれていながら。

”いまここ“にいることができていないとき、
いまここにいる自分自身を受け入れられていないということなのかもしれない。

いまという時間にフォーカスすることは、始めはある意味で辛いことや大変なことかもしれない。
たとえばやりたくないと思っていることをしているときなど直視したくない今があったり、いまに集中するという習慣になっていないことを常に意識しなければならなかったり。

わたしはいまをいつも受け入れられていなかったように思う。
“わたしはここにいるべき人間ではない”という考えにとらわれていたというか。
“わたしは特別だ”というちょっと自分で言うのは恥ずかしいようなきもちがたしかにあるから、いまという時間や状況に満足せず納得せず、結果的にはいまを否定していたことと同じようだなと思う。

“やりたいことをしてお金を稼げるようになったら”
“理想の生活が手に入ったら”
そうすればわたしはもっと楽しくて、それがわたしの道なんだとずっと思い続け、でもその道のりが分からず、なんとか歩いてみてもうまくいかずにずっと悩んだり彷徨ったりしていた。
どこに向かうのかもわからない、そんな不安をどこかで抱きながら自分を律しようとしたり、成長しようと励んだり、そんなこともまたもがきながらがんばっていた。

いまの自分を受け入れられていないまま、いまの自分を愛せないまま、より善い自分になろうとすることはきっと苦しいだろうな。
いまある運命、いまある人生を感じて受け入れられないまま求めるわたしになるのは苦しいだろうな。
たぶんでも、いまの運命やいまの姿を受け入れるのも苦しいかもしれないし怖いだろうな。
自分がそこに収まってしまいそうで、見失ってしまいそうで。
それでもやってみなきゃわからないこともあるんだよねきっと。
恐れがエゴであるならば、不安がエゴであるならば。

大事な事実がある。
今日もこの瞬間もほんとうに、ほんとうに一度きり。
わかっちゃいるけどね。
思ってるより全てが一度きり。

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