Do not think
考えなくても、望みはわかる
感覚が知っている
もしかしたら今はぼんやりとしたイメージかもしれない
それでも何度も浮かんでくるものがあるなら
もう見つけている
思考はもう止める
やりたいこと達成したいものが大きいとき
心の中ではわかっているのかもしれない
それを必要とする人がいるということを
それをやる価値があること
だから心からの望みなら遠慮などしなくてもいい
もしくは自分に遠慮をする、そんなふりをしながら自分に制限をかけて喜んでいるのかもしれない
たとえそれが辛く苦しく、解放されたいと思っているのだとしても
心からの望みや、自分の使命は考えてもわからないんだ
頭ではなく心にあるものだから
でも感覚を信じることを怖いと思うこともあるんだろうと思う
それは目に見えず不確実なもののようだから
不安な時、自分が“信じられると感じている”ものに頼って判断しようとするだろう
わたしはそれが過去の経験や人から聞いた話からまとめた自分の思考だったけど、考えるものではないのだときづいた
元々そこにあるもの
生まれた時から授けられているもの
なんじゃないだろうか
それを知る時、直感と呼ぶかもしれない
あるいは夢で見るのかもしれない
まだわたしにもわからないことが多い
もしかしたら馬鹿げてると思うかもしれない
それでも感覚が少しでも肯定的なら
感覚や心を知ってみないだろうか
研ぎ澄ませてみないだろうか
そんなふうになったら
人の可能性はほんとうに無限大になるのかもしれない
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