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怒涛のインフル〜「すき」の落書き(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その31)

23日から高熱が上がり、インフルエンザAと診断された。一回飲みきりの特効薬を服用し、24日に熱が下がった。熱が下がってから二日間は自宅待機しなくてはならないため、こうしてnoteを書いている。私は毎年冬になると、絶対と言っていいほど、娘から病気をもらう。娘が赤ちゃんの頃は手足口病に感染し、正月中、口の中と手の平にぶつぶつができていたことがある。最近は胃腸炎やコロナやインフルに感染することが多い。2年前は一家全滅、コロナになった。今月の前半は娘の胃腸炎がうつり、後半は私だけインフルになったというわけだ。

インフルは流行り病で、10月からのピーク時に空気中にインフルのウイルスが蔓延しているから、かかるのである。だが、私は高熱が出て調子が悪くなったとき、「やっぱりね…」と思い当たる節があった。そして、高熱に朦朧としていたときに思い出していた出来事で、その思い当たりが当たっていたのを確信した。

高熱が出ていたときに思い出していた出来事。それは職場での数々の我慢や怒りや孤独感や悲しみや🤬🤬🤬や😱😱😱や🫣🫣🫣や🤔🤔🤔や😭😭😭だった。一年いっぱいのことなので、数え上げたらキリがない。

このインフルは、私にとって「大浄化」のために起きたと私は踏んでいる。「年末大掃除」「年末大一掃セール」「年末大断捨離」なのだ。今年溜まりに溜まった、職場(あとはちょっと家族関係)での我慢、苦労、辛かったこと、怒り、それら全ての膿を出し、心身から大一掃し、新たな年をスッキリして迎えるための通過儀礼なのだ。きっと神様が施してくれたに違いない。そして何もせず、ただただゆっくり休む時間という、今、物よりも欲しいクリスマスギフト🎁を施してくれたに違いない。

職場での私は本当に力のない、歯向かうこともできない、小さな小さな存在である。だけど、私の身体(精神も含める)は、そんな小さな存在であったとしても、一年感じた我慢や苦労や怒りをなかったことにせず、ちゃんと溜めに溜めてくれて、そして正直に吐き出そうとしてくれた。私は、スピ的なデトックスを特別なことをして日頃行っているわけではない。しかし自然と、何もせずとも、私の正直な身体は溜めに溜めていたものを出そうとしてくれた。人間の身体には細胞が60兆個あるとも37兆個あるとも言われている。この細胞たちが息を吸って吐くように、私にとってもう不要となったガラクタたちを、高熱を出したり、風邪症状にさせたり、それに伴って休息をさせることによって、吐き出してくれた。

インフルにかかり、職場を休まなくてはならず、〇〇の仕事を代わりに〇〇さんにやって欲しい、と上司に連絡したところ、厳しいことを言われた。代わりはいない、あやこーんさんが抱えている仕事はあやこーんさんが責任を持ってやってください、正月出勤しなくてはならなくなったとしてもやってください、それか、インフルの熱が下がったら出勤する人もいるから、間に合いそうもなければそうしてください、と言われた。

これが正職員として働くことなんだな、と、この連絡後、私は今回のインフル一番の高熱を上げ、ただひたすら早く収まることを祈った。熱のせいかテクノ系の曲が頭に鳴り響く。娘がYouTubeを見ながら踊り狂っている「粛清!!ロリ神レクイエム」がエンドレスで鳴り響く。あ〜早くこの熱をなんとかしなければいけない。正月が潰れてしまう。蟹もおせちも安心して食べれなくなる。熱が下がれば、出勤していいって、他の人にうつしてもいいってのか⁉️なんであの上司は私にいつも厳しいのだ⁉️それはさすがにめちゃくちゃじゃないのか⁉️怒りの熱が燃え盛り、インフルの熱と同調し、私の身体は炎🔥と化した。ロリ神がそれに御幣を振りかざし、御祓いの儀式をした。しぐれうい(9さい)が歌い、それが祝詞となった。大祓である。こんなことになるまで追い詰められなくてはならない仕事と上司への怒りと熱は最高潮に達し、私は寝てるのか寝てないのかわからない、現実にいるのか夢の中にいるのかわからない状態で浮遊していた。


浅い眠りから覚めると、まるで戦の後のように、静かになっていた。熱が下がった。だが、全身が痛く、だるい。本当に私の身体は戦っていたのだな・・・身体を労うように枕元のポカリスエットを飲み干した。痛い身体を引きずり、リビングに行った。夫と娘は、娘のクリスマスプレゼントを買いに外出している。私はまだ少しだけ残る怒りのくすぶりに頭痛を感じながら、リビングの大きなテーブルのいつもの席に座った。ん?黒い糸がテーブルに落ちてる?私は目を見張った。



「すき」



私がいつも座る席に、黒い糸のような、明らかに娘がペンで書いた落書きがあった。


「すき」

↑この落書き


身体から込み上げてきた怒りや憎しみや寂しさや悲しみとの大合唱の戦いの後、この言葉はポカリスエットと同じくらい、私に染みた。ガラクタが一掃された空っぽの身体に、純度の高い娘の「すき」が、私の身体に染み渡り、60兆個とも37兆個とも言われる私の細胞がクリスタルのようにキラキラと喝采を上げた。


ただ、「すき」と言われたい。


そのためなんだ、と私は悟った。そのために怒りや憎しみや寂しさや悲しみを溜めに溜め込みながら、私は生きているのだ、と。何もしなくても、お利口な身体が、正直にそれを吐き出そうとしてくれる。時に身体が炎と化すまで、それを一掃してくれる。そしてその後にまた懲りずに、怒りや憎しみは溜め込まれていくのだろう。生きている限り。だけど、同じように、娘の「すき」のような、素晴らしいものたちも、きっと私の心身にするり、と入り込み、私の体内にスーッと浸透していく。不意打ちを食らいながら。嬉しい悲鳴を上げながら。


さあ、2024年はどんな怒り、憎しみ、寂しさ、悲しみ、恨みつらみ、待ち受けてますか。

そして、2024年はどんな喜び、楽しさ、嬉しさ、感動、感激、待ち受けてますか。


どんなものも丸ごと栄養にし、むしゃむしゃ食べていく。雑食系だ。そして肥やしにしていくのだ。2024年もいざ、ゆかん‼️身体からのサイン。心からのサイン。私たちの身体や心は、何よりも自分自身の味方だ。一番自分に正直に教えてくれる味方だ。生き続けていって、と、一番そばであなたを応援しているから、と、誰よりも何よりも身体や心が私たちに訴えている。その誠心誠意のお手伝いをしますから、と。24時間休むことなく、身体は働いてくれている。あらゆる調整もしてくれる。統合失調症を経験してから、私はそれを身をもって体感した。だから私にとって統合失調症になったことはけして無駄な体験ではなかった。健気にいかなる時も味方をしてくれる、そんな身体や心が私はとても愛おしい。病気になる度に私はそれを思い返す。そんな身体のために私も何かできないか、と、せめてものつもりでリビングのテーブルにあったハンドクリームを手に取る。手の甲に広げ、撫でるとホワイトフローラルの香りがふわっと広がった。今年もあと僅か。仕事は残っている。27日から再び出勤だ。カオスな忙しさになるのは目に見えている。だけどきっと何とかするのだろう。この身体と心が「私たちもいますからね。」と囁いてくれた。


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