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今朝の気温は-6℃ほどであっただろうか。
玄関のドアを開けた瞬間、キンキンの冷気が肌を突き刺し、
ミスターセンクスの体はぶるぶると震え、
当然の如くアレは小さく小さく縮まったわけである。

寒すぎたのかどうかは不明だが、
車のフロントガラスが幻想的なアートになっていた。
そこに指す日の光がアートを黄金色に染めたり染めなかったりし、
ブルブル震える手で撮影した写真がこれである。

ご存知の通り、ミスターセンクスは自称カメラチンマンでもある。
初めて言ったのでご存知なわけないわけだが、
カメラマンとしてのミスターセンクスの開花はわりと幼少期だったようだ。

「僕は絵が苦手だ。でも絵が苦手な人のためにカメラがある。」
もう覚えてもいないが、幼少期にそんなことをほざいたらしい。
家族と思い出話をしていた際にそんな話が飛び出し、
これまたびっくり昇天したのである。

本格的に写真を勉強しようと思ったのは大学の時だったろうか。
親のカメラではなく自分のカメラが欲しくて、
バイトで貯めたお金でカメラを買った記憶がある。

何を撮るのが好きかといえば、心が揺さぶられるものだ。
私にとってのそれは「美しいもの」だったと思う。
自然の中の美しいものや、自然と人工物の融合を撮った写真が多い。

人はほとんど撮ることがなかった。
なんで人を撮らないの?と言われたときにひたすらこう言い訳していた。
「レンズを通して人の心理が見えてしまうから。」
私がカメラマン・友達が被写体だとする。
レンズを通して友人を撮ることで、
普段の付き合いでは見えないような友人の私への感情が
見えてしまうような気がしたのだ。
そういう経験をしたわけではない。
そういう予感がしたのだ。

そんなことを思い出したら、
若い頃の自分の方がよっぽど尖っていて、
よっぽどクリエイティブだったのではないかと、
すこし寂しい気持ちになった。

今となっては美ではなく、美女である。
美女が「私の写真撮っていいよ」なんて言ってくれた暁には、
夢中になって撮影した上に「お礼だよ」なんて言って焼肉も奢る。
そしてワンチャンを狙うわけなのだ。
私は落ちぶれたのだろうか。
あのときの崇高な思想はどこにいったのだろうか。

過去を思い返すと今の自分が浮き彫りになり、
過去は現在につながっているということに気づく。

今だって絵は苦手である。
今だって「美(女)を切り取る」ことは大好きなのだ。
感性は鈍ったかも知れないが、成熟しただろう。
より人間らしいものが好きになり、
人間の奥底にある感情を表現することに興味を持ち始めた。

感情から逃げていた老けた若者は、
感情を深掘りしたい系ちょっと老けたおじさんになったのである。

追伸
焼肉奢ってくれるなら写真撮らせてあげてもいいよという美女の方、
ご連絡お待ちしております♡

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