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深い愛情が起こした奇跡を目撃した日

先日、危篤状態だった母親について書いた時に
鮮明に蘇った記憶があります

もう20年近くも前の話ですが
52歳だった母親は3人の孫のおばあちゃんでした

妹たちには本当に感謝しているのですが
その3人の孫が、母親の生きがいだったようで

孫たちがいなかったら
6年もの間、母親が辛い治療に耐え続けることは
できなかったのではないかと思います

中でも、下の妹の娘(当時1歳)を溺愛していて
妹や姪たちと一緒に病院に行くと

「(1歳の姪が母親と)よく似ていますね」と
色々な人に言われ、その度に
母親は心底うれしそうにしていました

確かによく似ていたので
その姪は母親の生まれ変わりかもね、と
後に妹たちと話した記憶があります

そして、さらに鮮明に思い出したのは、
せん妄で意味不明な言葉を発していた時の
母親の変化です

危篤の連絡を受けた私は、1週間仕事を休み
毎日病院に通いましたが

私の存在も理解できていない様子で
もう母親と会話できないだろうと考えていました

それが数日後、妹たちが姪3人を連れてきた時
それまでまともに話せなかった母親が突然
姪たちにしっかりとした口調で話しかけたのです

あまりの衝撃と、あまりの自分の無力さ加減に
しばらく言葉が出ませんでした

その後、自分自身を取り戻した母親は
半ば強引に退院し、最後の半年は
希望通り自宅で過ごすことができました

信じられないほど我慢強い母親は
病気になる前も散々苦労してきたはずなのに
さらに苦しい治療に耐え続け

もう起き上がることすらままならないのに
亡くなる直前の、完全に動けなくなる瞬間まで

できる限り自分のことは自分でして
特にトイレは意地でも自分で行っていました

そして、亡くなる日の朝、ついに諦めた母親は
仕事に行く私に向かって精一杯の笑顔を作り

「これからはお母さんの汚れたパンツを洗ってね」
と言いました

結局、それが私への最後の言葉になりましたが
本当は絶対に言いたくなかったはずで
さぞかし悔しかっただろうと思います

私はずっと、
母親はどうしてこんなに頑張れるんだろう、
この生きようとする力はどこから来るんだろう、
私なら絶対に無理だ、と思っていました

でも、他にも理由はあったのかもしれないけど、
間違いなく孫たちの存在が大きかったのだと
あの奇跡の瞬間を目撃して確信しました

一般的にも、孫はかわいいとよく言われるけど
これほどまでとは… 孫パワー恐るべしです

今や、その姪たちも全員社会人となり
恐ろしいほどの時間が経ってしまいました

当時1歳だった姪は、私の祖母の記憶はあっても
祖母よりも早く逝ってしまった母親のことは
覚えていません

そして、下の妹とその姪は、
しばらくの間とても辛い時期を過ごしていたけど
今は笑顔で幸せに暮らしています

妹がしっかりしているから大丈夫だと思うけど
もしこの先、姪に辛いことがあったとしても

これだけ愛してくれたおばあちゃんがいたこと
そして、おばあちゃんだけではなく
みんなに愛されているということを
忘れないでいてほしいな、と思います


最後まで読んでくださってありがとうございます

どうか、みなさんが少しでも心穏やかな時間を
過ごすことができますように

Avoir

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