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イタリアじゃないのに「ローマ」

皆様こんにちは。
本田拓郎(Takuro Honda)と申します。
この記事へお越しくださいまして、ありがとうございます。

 このnoteでは、今現在観光業に就いている私が、私の目線で、「観光・旅行・歴史・文化・教育」について、知識や新たな発見の提供、その他自論を展開し、古代ギリシャでいう「アゴラ」のような場所を目指します。私が勉強していることを皆様とも一緒に学ぶというスタイルで、記事を創っていきます。

 皆さんは世界史の教科書に載っている遺跡や建造物の中で、何が一番印象に残っているでしょうか。ギザのピラミッド?ヴェルサイユ宮殿?万里の長城?私はコロッセオです。古代ローマって魅力的な建物をたくさん残してますよね。ということで本日は、円形闘技場を通して、イタリア以外に残るローマの足跡を学んでいきましょう。

拙い文章力と乏しい考察力ではありますが、
最後までお付き合い、お願いいたします。

1. アルルの円形闘技場(フランス)

 まずご紹介するのは、フランス南部プロヴァンス地方の都市、アルルにある円形闘技場です。ゴッホの『アルルの女』や、『アルルの跳ね橋』で有名ですね。

 そもそも古代ローマは、イタリアから東西ヨーロッパ、アナトリア半島、北アフリカまで支配していた、大帝国でした。2世紀初頭に五賢帝の1人であるトラヤヌスが最大版図を築きました。つまり、イタリア以外にも多くの属州、植民地を保有していたということです。

 アルルもその1つで、紀元前2世紀にガリアという属州の街になり、ローマの支配下になりました。近くには、大きな植民都市マッサリア(現マルセイユ)がありましたが、港を持っていること、街を流れるローヌ川が内陸部と繋がってることから、主要港、商業拠点として繁栄します。

 その繁栄時に建てられたのが、円形闘技場です。紀元前90年頃に建てられたとされ、2万5000人もの観衆を収容できる大きさだったようです。我らがアビスパ福岡のホームスタジアムの収容人数が2万1562人ですから、それを凌ぐ規模というわけですね。でかい。

アルルの円形闘技場

 その後街は、コンスタンティヌス帝の時代に更なる飛躍を遂げます。大浴場が造られ、そこには温度調節機能や、サウナ、床暖房も設けられていたのです。古代ローマの技術の高さもそうですが、アルルが当時の最先端都市だったということを示しています。

 1981年に世界文化遺産となった、アルルのローマ遺跡は、今でも世界中から観光客が集まる街です。実は都市の人口も増加傾向にあります。世界遺産の街に移住するってのも、素敵かもしれませんね。

2. プーラの円形闘技場(クロアチア)

 続いてはイタリアとアドリア海を隔てた、クロアチアの港町、プーラにある円形闘技場です。

 このプーラも紀元前1世紀にローマの植民地となり、大都市として発展していきました。やはろその最中に建てられたのは、円形闘技場でした。

 プーラの円形闘技場は4階建ての大きなもので、収容人数はおよそ2万3000人をほこりました。我らがアビスパ福岡のホームスタジアムの収容人数が2万1562人ですから、やっぱりでかい。。。

プーラの円形闘技場

 上の写真をご覧になって何か変な感じがしませんか?写真下部は2階建て、上部は4階建てになってますよね。別に目の錯覚とかではなくて、本当にこういう構造なんです。なんでもこのプーラという街は、小高い丘がいくつもある地形なんです。この円形闘技場も、傾斜の上に建っています。ですので、下部の方が高いため、壁が低い構造になっています。

 プーラは残念ながら世界遺産には登録されておりません。しかし、中世の時代にはヴェネツィアやピサといった、イタリアの都市国家の所有地となり、長い期間、イタリアのラテン文化を色濃く受けてきました。今後世界遺産に登録されることが注目される街ですね。

3. エル・ジェムの円形闘技場(チュニジア)

 最後にご紹介するのは、イタリアと地中海を隔て、大陸も異なります、チュニジアにある、エル・ジェムの円形闘技場です。

 エル・ジェムはローマにとって、かなり重要な都市でした。なぜなら、一大オリーブオイル産地だったからです。この、オリーブオイルの製造と輸出で、莫大な富を得て、大きな発展を遂げます。

 また、当時は乾燥帯でありながらも、地中海に面していることから、わりかし湿潤であったため、穀物産地としても名を馳せました。それもあってエル・ジェムは、「ローマの穀倉地帯」と呼ばれるほど、ローマを支える重要な街だったんです。

 そこで得た富で建設されたのが、エル・ジェムの円形闘技場の円形闘技場でした。収容人数はおよそ3万5000人と、かなり大規模。我らがアビスパ福岡のホームスタジアムの収容人数が2万1562人ですから。。。

チュニジア

 ローマが建てた円形闘技場の中では、3番目の大きさを誇るエル・ジェムの円形闘技場。これより大きいものは、ローマのコロッセオ、イタリア南西部にあるカプアの円形闘技場のみです。

 この闘技場は1979年に世界文化遺産に登録されましたが、ローマや先ほど紹介したアルルのものと決定的に違うのは、都市の一部の構成資産として登録されたのではなく、円形闘技場を主要資産として登録されたことです。

 その背景として、17世紀にエル・ジェムはオスマン帝国による破壊の被害を受けましたが、この円形闘技場は、しっかりと建築当初の内部3層構造を残していることが考えられています。この構造を残しているのは、ローマのコロッセオとエル・ジェムの円形闘技場のみ。かなりローマ時代の遺跡としての価値が高いということを示しています。

4. ローマの風習は現代にも繋がる

 どうですか皆さん。古代ローマって結構すごいですよね。こんなに広い範囲に、統一した文化圏を築き上げて、めっちゃ面白いですよね笑

 今日、ここまで紹介してきた円形闘技場は、何のために利用されていたかというと、もちろん市民の娯楽です。陸上や剣闘、戦車競走など、見世物会場として、広くローマ市民に利用されていました。

 要は、スポーツ観戦が人々の娯楽であったことを、古代から示してくれる、とても大事な史料と言えるんですよね。

 現代を生きる私たちも、仕事終わりにプロ野球を観て、週末にJリーグ観て、といったような、スポーツ観戦が生活の一部になってる方もいますよね。その原型はすでに、古代ローマの時代には築かれていたということがわかりますよね。

 ただ、円形闘技場で行われていた見世物って、結構残虐なものもあったので、現代と通ずるものがあるかと言われると、まぁ疑問符なところもあるんですけど、「文化」や「風習」というところでは、原型と言っても良いんじゃないですかね。

 これだけ長い時間、さらに今でも生きている、根付いているというところで、古代ローマはとても重要な歴史的要素です。このような娯楽だけじゃなく、文学や政治においても、現代に通じるものがあるので、もう一度、世界史の教科書を開いてみて、学びなおす機会を作ってみても良いんじゃないでしょうか。

今回も最後まで読んでくださいまして、誠にありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
Ciao...

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