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目指せ、24件目の世界遺産Ⅱ~古代日本の価値~

皆様こんにちは。
本田拓郎(Takuro Honda)と申します。
この記事へお越しくださいまして、
ありがとうございます。

 このnoteでは、今現在観光業に就いている私が、私の目線で、「観光・旅行・歴史・文化・教育」について、知識や新たな発見の提供、その他自論を展開し、「勉強になった!」や「こんな考え方もできるなぁ」という、古代ギリシャでいう、「アゴラ」のような場所を目指します。
 私が勉強していることを皆様とも一緒に学ぶというスタイルで、記事を創っていきます。

 さて、5月に私が投稿いたしました、『目指せ、24件目の世界遺産~沖縄がまたアツくなる~』は、ご覧になりましたでしょうか。投稿したタイミングでは世界遺産委員会の開催がわかりませんでしたが、2020年の世界遺産委員会は延期となり、今年2021年の世界遺産委員会にて2年分の審議が行われることになりました。日本からは前述の「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」と、もう1件が審議にかけられます。

 その、もう1件の物件というのが、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」です。「そんなのが候補だったの?」って思う方がほとんどでしょう。本日は日本の古代史と、世界遺産の必要性について考えてみましょう。

1.古代史は簡単なようで難しい

 歴史オタクの同級生がマウントを取るために、「何時代が一番好きなの?」って聞いてくるシチュエーションを経験したこと、ありませんか?私はあります。だってマウントを取る側の人間でしたから笑

 それで、こんな回答をする人もいませんでしたか?「縄文時代かなぁ。覚えること少ないし。」ってね。私からすれば、「歴史を何だと思ってんの?」って感じですけど、好きな理由は人それぞれです。

 覚えることが少ない。まぁ正しいっちゃ正しいんですけど、厳密に言うと、「史料が残ってないからわかっていることが少ない」ということなんですよね。日本は西洋や北アフリカなどのように、石碑に史実を残すことや、文字や絵画で残す文化が見られません。つまり、当時の生活や文化を知るためには、発掘作業で遺構からヒントを見つけるしかないということです。正しい歴史を証明するためには、かなりの時間と労力が必要になるんですね。

 さらに、発掘作業もそう簡単には行えないんです。例えば、「ここ掘ったら何かわかりそう!」って場所が、国立公園や国定公園に指定されていると、そもそもそのような行為は行えません。要は、どこでも好き勝手作業できないってことです。温泉たくさんあるのに、地熱発電所が少ないのと同じ原理です。多分この話は前の沖縄編でも話してる気がします笑

 縄文時代って、学校教育で勉強するという点では簡単な時代かもしれませんが、本質を知るためにはとっても難しい時代なんです。では、私たちが学んできた縄文時代って、どんなものだったか、次の章で思い出してみましょう。

2.縄文時代って何があったの?

 「縄文」と聞くと、「土器」が一番最初に思い浮かぶでしょう。それが時代名の由来です。発見された土器の文様が縄目のように複雑で細かいのが特徴です。「縄のような文様」で「縄文」というわけです。

 人々の生活は、竪穴住居による「定住」が根付いていきます。それ以前は、狩猟を中心とした「移住」が主でしたが、狩猟に加え、地域間交流が行われるようになり、「その場にあった暮らし」の起源がうかがえます。北海道や東北で北陸で作られたヒスイの装飾品が発掘された話を勉強した方も多いのではないでしょうか。

 また、人々の食生活を知ることができるのが、「貝塚」です。貝塚とは、食事で出たゴミや廃棄物を集めていた場所、つまり、ゴミ捨て場です。もっとも有名なものは、東京都にある大森貝塚でしょう。アメリカの動物学者であるモースが鉄道移動中に発見したと言われています。大森貝塚には土器もそうですが、鹿やクジラなどの骨が発見され、狩猟が陸だけでなく海でも行われていたことがわかります。

 「土偶」も忘れてはいけない重要な要素です。豊穣や安全などを祈願するために「土で作られた偶像」というわけです。青森県の木造駅の駅舎には大きな土偶がくっついてます。駅付近の亀ヶ岡遺跡で発掘されたことにちなんでいます。

 これらのことからわかるのは、現代日本で生活する私たちの生きる基盤が形成された時代が縄文時代であったということではないでしょうか。特にその最も大きな要素というのが「定住」です。その土地にあった生活をすることで、文化を形成し、地域性が生まれていったと考えることができますね。これは、日本という世界でも珍しい独自の文化を持つ国の形成に寄与したとして、世界遺産に推薦されてもおかしくないですよね。

3.縄文時代の日本と世界

 次に、日本の縄文時代と同時期の世界の様子を見てみましょう。

 オリエント世界ではシュメール人が都市国家を形成し、楔形文字を発明しました。また、太陰暦や六十進法を取り入れてました。セム語系のアムル人はバビロン第一王朝を建設し、復讐法で有名な『ハンムラビ法典』を作りました。

 古代エジプトでは、ファラオによる統治が始まった時代です。ヌビアを征服したトトメス3世や唯一神アトン信仰を普及させたアメンホテプ4世カデシュの戦いで世界最古の国際条約を結んだラメセス2世などが活躍した時代です。

 中国では、が支配した時代でした。鎬京に都を置き、血縁に基づく封建制度を確立していました。また、井田法と呼ばれる土地制度を採用し、農民階級はこれに従い納税していました。

 地中海世界では、ギリシャにミケーネティリンスといった都市王国が建てられました。また、ヴェントリスが解読した線文字Bが使用されていました。

 皆さんはこの違いをどう捉えますか?「日本は遅れている」と思うのか、「これから新事実がわかる可能性がある」と思うのか、考え方は人それぞれですが、私は前者だと考えてしまいます。でも、それも独自の文化です。

4.「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」は世界遺産になれるのか

 最後に、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の主な構成資産を見てみましょう。

入江・高砂貝塚(北海道洞爺湖町)
国の史跡に指定されている貝塚。海洋生物の骨が多く発見され、海での狩猟の割合が高かった地域であることを示す。
三内丸山遺跡(青森県青森市)
日本最大級の縄文時代集落遺跡。今回の審議物件の主力を担う。
亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)
最も有名な土偶である「遮光器土偶」が発掘された。
大湯環状列石(秋田県鹿角市)
大型のストーンサークルを持つ縄文時代の遺跡。

その他12物件を含めた、計16物件が構成資産となっています。これらの最大のポイントは「北海道・北東北エリアに根付いた地域独自の生活文化を現世に伝えている」ことです。世界でも希少な文化を築いてきたことを売りにしています。

 さて、ここからが問題です。この物件は世界遺産になれるのでしょうか。世界遺産になるために必要なのは、「顕著な普遍的価値」です。正直なところ、私はこの遺産にそれを感じ取ることができません。なぜなら、世界の他のエリアと比較しても、傑出した文化的意義を見出せないからです。環状列石にしても、ストーンヘンジ(イギリス)や、セネガンビアの環状列石(セネガル、ガンビア)と比較して、規模の大きさ、その国と国を越えた文化に与えた影響の大きさを考えると、弱いと感じるからです。5月に投稿した『富士山が世界自然遺産になれなかったのは、本当にゴミ問題?』と考え方は同じです。類似した遺産、傑出度の比較で負けている遺産は世界遺産にふさわしくないということです。これは、世界遺産自体の価値を下げることに繋がると考えており、今年の世界遺産委員会で2年分の審議を行うことについても私は謎に思ってます。

 しかし、世界遺産になる光は射しています。近年、先史時代や古代の遺跡登録の強化がなされているからです。史料や証拠が足りていないことや、保全が不十分であることなどから、登録されない傾向にありましたが、近年はその考え方を捨て、強化に踏み切っているようです。

 日本に世界遺産が増えることはとても良いことです。観光材料になるし、それによって、なかなか注目されなかった地域に大きな経済効果をもたらします。しかし、現時点での世界遺産登録数は、全体で1,121件です。多すぎです。「世界遺産の価値」というところにフォーカスすると、その価値を守るのも、UNESCOに求められる仕事なのではないでしょうか。

長くなりましたが、
読んでくださいまして誠にありがとうございます。
Ciao...

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