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肉体の死と記憶の死

人は二度死ぬと、誰かが言った。

一度目は、肉体的な、医学的な、実体としての死。
二度目は、忘れられることによる、記憶の中での、死。

私はいま、実体としてこの世に存在しながら、記憶の中での死と対峙する。

・・・・・・

高校生の頃。
その前もその後もだけど、その時も家にいるのがしんどかった。
下校時刻を過ぎて学校から追い出された後や、学校の空いていない土日には、子供たちを支援する団体が開いていたスペースで過ごしていた。

とはいえ公開しているスペースなので、私は特に事情も話さず、ただ本を読んだり勉強したりしに行っていた。
他の子とは誰とも話さなかったし、周りからもおとなしくて真面目な手のかからない子だと思われていた。


ある日のこと。
椅子に座って勉強していた私は、急に息苦しさを感じて、トイレに駆け込んだ。
分かっていた。過呼吸だった。
床でうずくまっていた私をたまたま通りかかった他部署のスタッフさんが発見して、すぐに子供担当のスタッフさんを呼んできてくれた。

落ち着いて自分が元いた席に戻ったものの、もう何もする気が起きない。
加えて、今までできるだけ影を薄めていたのに、こんな形で迷惑をかけてしまって、何を言われるか怖い。
とにかく机に突っ伏して、静かに泣いていた。
真っ暗な絶望の中で過ごす時間は、永遠に感じた。

ふと、対面の席に誰かが来た気配がする。
「ひなたちゃん。ここ座ってもいい?」
一人のスタッフさんのこの一言が、全ての始まりだった。


それから、長い月日をかけて、少しずつ色んなスタッフさんと、色んな話をするようになった。

家のこと。
学校のこと。
これまでのこと。
これからのこと。

いつしか、良かったことも、悪いことも、スタッフさんたちに全て報告するようになった。
一人で端の席にいるときに、自然と対面の席に座って話しかけてきてくれるスタッフさんのことが大好きだった。

学校で良い成績を取ったときには、親の代わりに沢山褒めてくれた。
賞を取ったときには、見せた賞状を、まるで全校集会での校長先生のように読み上げ、スタッフさんたちの前で表彰してくれた。
ほぼ三日間なにも食べていないとうっかりこぼしたときには、「これお土産。」と言って、本当はいけないお菓子をこっそりくれた。

そこには、沢山の信頼できる大人がいた。
今まで優等生として、どこに行っても大人っぽく扱われてきた私を、全力で子供でいさせてくれる場だった。

受験生として自習しに行くようになってからも、進路の相談にのってもらった。
そこで、スタッフさんたちの人生の話も沢山聞いた。
私はその場で優等生としての仮面を脱ぎ捨てて子供でいたのに、それを話してくれるほど信頼してくれたことが嬉しかった。
完璧じゃない私でも、信頼してくれる人がいるということに気づいた。
私の夢を叶えるために、さらに上の人にも連絡を取って、話を聞かせてくれた。

勉強中に集中力が切れてぼーっとしていても、勉強しなさいとは誰にも言われなかった。
ただ「ここ座ってもいい?」と、スタッフさんはいつもの対面の席に座って、私が作っていた世界史の年表を見ながら自分が海外旅行をした時の写真を見せてくれた。
そして、「今日はあと何やるの?あとちょっと頑張ろ」といって、私の気持ちを自然に勉強に向かわせてくれた。

第一志望に合格したことは、特にお世話になったスタッフさん3人が来ている日に、伝えに行った。
一緒に、沢山、たくさん喜んでくれた。
そして、他のスタッフさんに、まるで我が子のことのように、自慢しに行った。
褒められるより、何より、それが嬉しかった。

卒業式の帰りに晴れ着のまま顔を見せに行ったときには、その場でそこの卒業証書を作って、これもまた読み上げて皆で祝ってくれた。


大学に入ってからも、時おり顔を見せに行っていた。
大学で何とかやっていること、大変なこともあるけど夢に向かって進めるのは楽しいこと、スタッフさんはいつものように一緒に喜んで聞いてくれた。

スタッフさんが異動したり退職したりするときは、必ず会いに行き、沢山話をした。
支援者・被支援者という関係が緩やかになったからこそできる昔話もあった。
何より、当時の自分ではうまく言葉にできなかった感謝を伝えたかった。
一人、また一人とスタッフさんがいなくなっていくのは寂しかったが、お互いに将来の話をして別れるのは、人生に嫌気が差していた私にとって再び前を向いて歩き出すきっかけにもなった。
私は、最後まで助けられていた。

数日前、一人のスタッフさんから、退職の連絡を受けた。
今まで一番長い期間お世話になったスタッフさんだった。
それと同時に、当時の私を知る最後のスタッフさんだった。

・・・・・・

あの場から、当時の私を知る人がいなくなってしまった。
あの場にはもう、「高校生の私」の記憶はない。
人も、掲示物も、もう何も高校生の私があの場で過ごしたことを立証するものは無くなってしまった。

2人が1人になるのと、1人が0人になるのとでは訳が違う。
大人になった私を未だに心配して、会う度に「無理しないでね」と言ってくれた。
ただの大人の私ではなく、あの日の延長線上として大人になってしまった私に。
次にあの場へ行った時の私は、ただの「大人」だろう。


苦しかった過去の私が忘れ去られて、無かったことになってしまう。

いい加減大人になりなさいというのは、一理あるどころか、私自身よく思っている。
ただ、子供の私を知っている人と「大人」になった私が話すことは、いま子供扱いされることとは違う。
従順だった家での私と、優等生だった学校での私は、まだ証明できる人や物がある。
それでも、子供であった私だけは、もう私の心の中にしか残っていない。
幻覚だったのでは?と言われたら、そうだったのかもな、と思ってしまう。
それくらい軟い、脆い、信じがたい幻のような、それでいて一番大切な私の子供時代を、誰かに証明してほしい。

あの頃の私の辛さを、気のせいだと言われたらどうしよう。
辛かった、と私が言うだけでは説得力がない。
その苦しみの裏にあった幸せを、自分が気のせいだと疑ってしまったらどうしよう。
あなたは確かに子供でしたよ、とはもう誰も教えてくれない。

・・・・・・

世の中の人は、たいてい無意識のうちに、実体としての死を迎えてから、その人の存在まで忘れられ、二度目の死に至ると思っているのではないか。

でもきっと、実体としての死と、概念としての死は、もっと独立なのだと思う。
人は、その実体がこの世に存在していたとしても、誰彼にも忘れられたら、生きていると言えるのだろうか。

子供時代の私は、もうじき死んでしまうのかもしれない。


だから、書く。
私は書く。
忘れてしまうから、書く。

一つ目の死を迎える前だけでも、二つ目の死から自分を守るために。

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