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口を開きゃあ猪木ボンバイエの対偶ひとつ取れねえで

 おはようございます。

〔序文〕

 前回の記事の続きなんですが、いま下書きしてる記事の本筋から気が散って余計なことばっかり書いてるうちにその余計な話が長くなっちゃったので記事を切り分けました。

 もうすぐ出なきゃいけないので今回は手短に、

 つくりたいもんはたくさんあるけど元気ないとなかなかできないよね〜

——The Authentic Japan® 『ポリンキーの三角形のひみつ探ってたらお盆終わってた』

みたいな話をしてたところから話が逸れて、以下になります。もともと註釈扱いにしててそん中で好き勝手言ってたのを抜き出してきたので殆どの段落が blockquote になってますが、そのままにしときます。

〔本文〕

 こんなの暇つぶしで書いてるんだから日頃の鬱積した気持ちや違和感も憚り無く吐き出してるので、自分で「元気がないとしたいこともできない!」とか言っててまた思い出したけど「猪木ボンバイエ!」のあれを、

 インターネット・ミームで盛り上がる年齢はとうに過ぎたので態々こんなこと取り立てていうのも何とも大人げないかとは思うが、そうはいっても、

みんな「全称命題の否定」取れなさすぎでしょ、なんで「元気があれば何でもできる」の対偶が「何もできないなら元気ではない」になるわけ?

 数学 A までの知識しかないから記号の使い方があってるのか不安だし、あと英語で書いてる(これも合ってるかはしらん)のは伊達や酔狂じゃなくて全部和文で打つとなんか文字が式の中の英数字とか他の本文のテキストの文字よりデカくなってバランス取れなくてかっこわるいからルビ振るのに使うにとどめたいからなんだけど、

 ちなみに “every” に「すべての」って日本語を充てがうとこれがあたかも複数 (plural, 略は pl.) 扱いのように聞こえるが、これは「こいつも、こいつも、一個一個それぞれがどれもこれも」っていう意味合いなので、 ”every” の付くものはしっかりと単数 (single, 略は sg.) 扱いである。間違いなきよう。

cf. Wikipedia: 伊達氏

$$
\begin{array}{}
\overset{{}^{集合} \! A_{\, は、}}{A} \; \underset{={}^{\text{\,equal}}_{{}_{で}定義} }{ \overset{{}^{\text{colon}}_{{}_{の}辺を}:}{\coloneqq}} \; \big \{ \overset{x^{の}_{集合_{で}}}{x} \Big | \; \overset{ x_{ は \, 1_{つ} 1_{つの} 「なにか」_{とする} } }{x \text{ is every single matter}} \big \} \\
\\
\begin{cases}{}
p &=& \overset{元気がある}{\text{You are flourishing}} \\
q(x) &=& \underset{ \hspace{10 em} {}^{の} とき、 }{\overset{x \, ができる}{\text{You\; can\; do} \enspace x}} \\
\end{cases}{} \\
\\
p \enspace \overset{{}^{ならば}}{\longrightarrow} \underbrace{\overbrace{ \overset{{}^{すべての}x}{{}^\forall x} \in A }^{{}^{集合}A_{に属する}}: \;}_{{}^{\! に}_{ついて \,} \text{colon}:^{\, 以下}_{\; のことが} \overset{ \text{TRUE} }{真} } q(x)_{{}_{\; である}}
\end{array}{}
$$

 このとき、その対偶命題である $${ \overset{ q^{でない} }{\bar{q}} \overset{ {}^{ならば} }{ \longrightarrow } \overset{ p^{でない} }{\bar{p}} }$$ も真なのだが、

このときの $${ \overbrace{ \bar{q} }^{ \neg \, q {}^{とも}_{\, 書く} } }$$ つまり $${ q }$$ を否定するというのは、個々の $${ x }$$ ひとつ残らずについてそのときどきの $${ q(x) }$$ をいちから順に全部を徹底的に否定して回る必要はなく、「矢印の右辺」について裏をとればよいので(その命題の「逆」の「裏」のことが「対偶」でしたね、懐かしい)、

あくまで $${ \overbrace{\, q \coloneqq \,}^{{}^{ただ} q {}^{とだけ}_{\, 書くけど}} \overbrace{\; {}^{\forall}x \in A: q(x) \,}^{ q^{ってのは}_{\, この内容のこと}} }$$ つまり「集合 $${ A }$$ に属するすべての $${ x }$$ について $${ q(x) }$$ が成り立つ」というこの鈎括弧の中身の「裏」をとってやる、つまり「否定」してやる、つまり「……成り立つ、のではない」と言えばそれでおしまいで、

もう一度いうと $${ \overline{\, \text{You can do} \; {}^\forall x \,} }$$ つまり「『すべてのことができる』の否定」は「何もできない」ではなくて「すべてのことができるわけではない」になる、ということだ。

 これを「部分否定」といって、英文法を学ぶのにも漢文を学ぶのにも少し注意が必要なことだが、ちょっと考えてみれば、

「なんでも知ってる」ということを否定したくて「なんでもは知らないわ」とはいうけど「なんも知らないよ!」というとちょっと大袈裟というか謙遜が過ぎるというか慇懃無礼というかで嫌な感じになることを思い出せば合理的である。

ちなみに、「なんも知らないよ!」とか「何もできない……」は「全部否定」という(確か)。

 というわけで、つまり

cf. 『化物語

$$
\begin{array}{}
\overset{{}^{否定}}{\neg} \big( \, \text{You can do} \; {}^{ \overset{ \hspace{-0.5 em}\text{all} }{\forall}} x \, \big) = \text{You can not do} \; {}^{ \overset{\hspace{-1.2 em}\text{exists} }{\exists}} x
\end{array}{}
$$

ということ。これが「全称命題の否定」ってやつで、式で書くと、

cf. Wikipedia: ∀ガンダム

$$
\begin{array}{}
\begin{array}{}
\neg \, q &=& \neg \Big( \, {}^{\forall} \! x \in A: \, q(x) \Big) \\
\\
&=& \quad \underbrace{ {}^{\exists} x \in A: \neg \, q(x) }_{{}^{ここが}「q \, でない」^{に}_{\, あたる部分}}
\end{array}{} \\
\\
\Big({}^{※} \, q_{\,でない} \; \overset{{}^{こうも}_{\quad 書く}}{\longleftrightarrow} \; \neg \, q \; \overset{{}^{こうも}_{\quad 書く}}{\longleftrightarrow} \; \bar{q} \; \Big)  \\
\\
\therefore
\begin{array}{}
\underbrace{\overbrace{ \overset{{}^{ある}x}{{}^\exists x} \in A }^{{}^{集合}A_{の中に}}: \;}_{{}^{\! が}_{存在して \,} \text{colon}:^{\, 以下}_{\; のことが} \overset{ \text{TRUE} }{真} } \bar{q}(x) \enspace \overset{{}^{ならば}}{\longrightarrow} \enspace \bar{p}_{{}_{\; である}}
\end{array}{}
\end{array}{}
$$

なので、真である命題は「なにかできないことが存在するならば元気ではない」である。もっと肩の力を抜いて生きよう。

 ちなみに「ある」のことを「適当な」とか、「すべての」のことを「任意の」って言うこともあって、よく日常の言葉と直感的に逆な感じがするというひともいるが、「適当に」っていうのは「いい加減に」じゃなくて「適当なやつを見繕ってくれば」って意味だし、「任意の」っていうのは「好き勝手に選んでもなんでもかんでも」って意味なので別段おかしなことはない。

cf. Wikipedia: 明大前駅

 それでこの直後にまた別の話に飛ぶんですが、それをまた切り分けて投稿するのは帰ってきてからにします。

——6°13′ a.m., Thu., 22nd August ’24,
The Authentic Japan®

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