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恩讐の彼方


noteに今の自分の有りったけの想いを吐露した僕は、全てのSNSをアンインストールした。周りに振り回されず静かに一人で過ごしたいという衝動だけはどうしても抑えることが出来なかった。自分が関わる人達の顔が何度も過ぎったが、全てを振り払い、僕は孤独と向き合う旅に出ることにした。


◆夜行


僕は夜行バスが嫌いだ。人生で一度たりとも眠れた試しがない。他人の寝息や鼾のみならず衣服の擦れる音までが気になってしょうがない。目を閉じて眠ろうとしても、数センチの距離に名も知らぬ人間がいるというだけで耐えられない。それに薄目を開けてその者の顔が気持ち良さそうに眠っているのを見てしまったときには、きっと自分との大きな隔たりを感じて苦痛を感じてしまうことだろう。今日はやりきって満たされた気持ちであるにも関わらず、何故こんなにも僕は卑屈になっているのだろうか。どれだけ幸福を感じたとしても次の瞬間には絶望が再び戻ってくる、それが僕の日常だ。

◆早朝

午前5時34分、小田原駅東口前にバスが停車した。重い荷物の入ったリュックを背負って僕は降り立った。まだ朝方ということもあり、辺りは薄暗く街灯も白く光を灯していた。周囲の人たちがまるでゼンマイ人形のように同じような動きをしているように見えるのは僕が疲れているからだろうか。何れにしてもあのように単調な挙動で何の苦労も感ぜずに生きている輩を見ると自分の不幸の断片を与えたいと思ってしまう。リュックに入れた鋭く尖った何かを取り出したい衝動に駆られたが自制した。

◆受付

運良く駅から徒歩数分の所にスーパー銭湯があった。別に風呂に入りたいとかサウナに行きたいとかそういう気持ちは微塵も無かった。ただ単純に身体を休めたかった。受付には、70歳位の短髪白髪の顎髭を整えた浴衣を着ている老人がいた。恐らく日中に見ればただのそこらにいるような年寄りなのだろうが、この時間帯に一人で佇みにこやかに笑っているからか、不自然で不気味な印象を僕は抱いた。プランの説明を話し出したが何を言っていたかは覚えていないし僕もまたきちんと意思疎通を図れていた気はしない。ただきっと薬物中毒の錯乱した青年が来たのではないかと思われていたに違いない。

◆万葉

直ぐに眠りたかったが、身体全体に不快感があったから気力を振り絞り大浴場に向かった。時間が時間ということもあり、中には誰もいなかった。風呂に浸かると何とも言い表せないような多幸感が僕を包んだ。そういえば昨日からずっと動きっぱなしだった。こうして足を伸ばし目を閉じているときだけは自分が自由になれる気がする。まるで母の子宮にいるような安心感とでも言えようか。そうか、僕は他者といると自由になれないのか。なら僕にとっての自由とは孤独なのかも知れない。そんなことを考えているからか、その後に入ったサウナは人生で一番気持ちよくなかった。

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