すずまなあかん【短編小説】
贈り物を考えるのは、この世で一番楽しい時間の一つだと思う。脳内で、相手の好きそうなものを思い浮かべる。とくに誕生日の贈り物は良い。目一杯相手のことを考えて、あれこれと想像を巡らせるのは。
ーーただ、贈り物を実際に買うのは、この世で一番難しい時間の一つだと思う。突きつけられる現実、すなわち予算。気に入ってもらえるだろうか、相手の暮らしに馴染むものを選べるだろうかという不安。自分の願望や心を押し付けるようなものだと思ってしまうと、ますます難しくなってしまう。
そういうわけで、今年も藍は、悩んでいる。
文通を続けている紫との間で、誕生日にプレゼントを送り合うのは、高校時代から10年ほど続いている恒例行事だ。
紫の誕生日は8月の終わり。交わしている手紙によれば、そろそろ紫は一人暮らしになって一年近く経つはずだ。どんなものが良いだろうとあれこれ楽しく想像を巡らせたあと、結局頭を抱えることになる。
昼食後、1歳を少し過ぎた息子の光を昼寝させながら、ぼんやりとひとりごちてしまう。
「何が良いかなぁ……」
しまった、と思ったときには遅く、光はぱっちりと目を開けた。藍の声に少し首を傾げ、あうあう、いー、と言いながら動き出そうとする。せっかく寝かけていたところを起こしてしまった。少し後悔しながら、もう一度、息子の背中にとんとんと軽くリズムを刻む。静かになるまで、もう少し時間がかかる。
適温の冷房の部屋は静かだ。――けれど、二人だけでいると、煮詰まる。涼しいはずなのに、心のどこかに熱を感じる。プレゼントを考えることも、次第にぐるぐると。楽しいはずの時間が熱をもって、嫌になってしまう。
すぅすぅと、ようやく息子が再び規則的な寝息を立て始めたのを見て、藍はようやくスマートフォンに手を伸ばした。気持ちに風穴を開けるつもりで、プレゼント、今年は少しくらい冒険してみようと思いながら。
*
煮えたぎるような昼間を避けて、午後四時すぎ。
昼寝を終えた息子をベビーカーに乗せて、家を出る。郵便局で多めに切手を買うと、その足でふらりと買い物に出た。
結婚してから住んでいる京都は盆地のせいか、関東とは質の違う暑さを感じる。熱はアスファルトに強く籠もり、蒸された熱気が太陽を歪ませる。ベビーカーにはひんやりシートと保冷剤、それに小型の扇風機を取り付けて対抗する。藍自身も風通しの良い帽子と、首元に冷感タオルを身につけているけれど、それでも汗が噴き出るのを抑えられない。凍らせてから持ってきたペットボトルは既に随分溶けている。額にあててから中身を飲む。
既に盆を過ぎているからか、どれだけ暑くとも、夏の終わりの気配がそこはかとなく感じられる。少しずつ傾いていくまだ強い日差しの下、ベビーカーに鎮座する光が涼しい顔でご機嫌なのを確認してからサンシェードを下ろし、自力で飲めるマグボトルを両手に持たせた。
日陰を選びつつ、いつもよりも少し足を伸ばす。 どの駅から少し離れた、古くからの町家が立ち並ぶ通りが、今日の目的地だ。観光客だけでなく地元の人も立ち寄るような、小洒落た雑貨屋が軒を連ねているという。そこなら、紫への贈り物に適したものが見つかるのではないかと思ったのだ。
どの駅からも少し離れた、古くからの町家が立ち並ぶ通りが、今日の目的地だ。観光客だけでなく地元の人も立ち寄るような、小洒落た雑貨屋が軒を連ねているという。そこなら、紫への贈り物に適したものが見つかるのではないかと思ったのだ。 駅から目的の通りに着くまでに、既にいくつもカフェや雑貨屋がぽつぽつと並んでいる。店先に並べられた商品を手に取ったり、軽く店員と挨拶を交わしたりしながら歩く。ここのところずっと家に籠もっていたせいか、思いの外、心が弾む。暑さよりも楽しさの方がすっかり勝っていた。
――いつの間にか、芯まで凍っていたはずのペットボトルの水を飲み干して、それが空になっていた。
「あれ、もう五時」
目的の通りはもう目の前の角を曲がればすぐだ。少し急ごう、と思ったときだった。
……ことん。
ベビーカーからマグボトルが転げ落ちて、鈍い音がした。中の水分がゆらゆらと、アスファルトに色のついた影を落とす。
「ん? ……光?」
いつの間にか、ベビーカーに取り付けた扇風機の電池が、切れていた。
日差しを遮るシェードを深く下ろしていたせいか、ベビーカーの中には思いのほか熱が籠もっていた。渡していたマグボトルの中身を確認したが、あまり減っていない。
静かだったから、てっきり眠っているのかと思っていたが、ベビーカーの中の一歳児の眉根は寄せられ、呼吸はやや荒く、頬が赤い。
――熱中症。
脳内をその言葉が駆け巡って、焦る。
「光!」
うう、と光が目を開けないままぐずり出す。様子を確かめなくてはならない。自分のペットボトルも空だ。慌てて辺りを見渡す。目的の通りへと折れる角に、大きめの日陰と、そこに佇む自動販売機が見えた。
そこまで歩を進めて、水のペットボトルを数本買う。シェードを開け放って抱き上げようとすると、機嫌が悪そうに身をよじってぐずりだした。意識があることに安堵したが、体は少し熱く、頬は赤い。自分の首の冷感タオルを首に掛けて、額と脇に急いで冷たいペットボトルをあてる。一本は開けて、マグボトルの中身を入れ替えストローを口に咥えさせたけれど、光はいやいやと頑是なく首を振る。
どうしよう、と焦りで我を忘れそうになった瞬間だった。
――りぃん。
焦る藍の心の傍を、光の赤くなった頬の横を、耳に心地よい音を乗せた風は、さらりと吹き抜けた。
――りぃん、ちりぃん。
「……あら。どないしはったのん?」
音を追って見上げる先、通りの2軒目の店先から、白髪を簪できれいに結った、浴衣姿の初老の女性がこちらを覗いていた。軒先にぶら下げてあるたくさんの風鈴が、一斉にりぃんりぃんと音を立てていたのだ。
「すみません、暑いせいか、息子の調子が悪いみたいで」
「あら。少し休んだほうがええわ。よかったら店の中に」
「……ありがとうございます」
差し出された好意に甘えることにした。ぐずる光と冷たいペットボトルを両腕に抱えて、ベビーカーを畳み、店に足を踏み入れる。
古民家を活かした和雑貨屋らしかった。土間から長屋の奥まで敷石が並んでいるのが見える。黒い柱と太い梁に綱を渡して下げ垂れた風鈴たちが、藍と光を歓迎するようにりぃんりんと鳴り続けている。開け放たれた引き戸から土間へ、土間から奥へと、すぅと風が吹き抜ける。空調もつけっぱなしで、さらにその上風通しが良い。風鈴の音色を運ぶ風は、肌にさらさらと感じられた。
髪留めや小物といった和雑貨がいっぱいに置かれたテーブルの奥、土間の片隅に置かれた長椅子に頭を下げてそっと腰掛ける。改めて光にストローを加えさせると、今度はごくごくと水を飲んだ。
「大丈夫?」
「はい、熱中症かと思ったんですけど、機嫌が悪かっただけかもしれません」
「育児は初めて?」
「はい」
「難儀やねぇ」
「……わからないことが多くて、手探りばかりです」
店主らしき白髪の女性は穏やかに笑って、藍にも冷たい麦茶を出してくれた。礼を言って口をつける。ほっとする丸い味がひんやりと、喉に流れ込んだ。
頬の赤みもいつの間にか引いた光は、天を仰ぎ、鳴り続ける風鈴たちを見上げている。ゆらゆら揺れる色とりどりの短冊が翻るたび、一生懸命に手を伸ばそうとする。その様子に、ああ、可愛いと久しぶりに手放しで思う。
りぃん。りぃんりぃぃん。りん。
「涼しいですね。風通しが良い間取りで」
「京都の夏は暑いさかい、昔の人もきっと考えて家建ててはったんやろね。せやけど、こない暑ぅなるなんて、昔の人も思てへんかったかもしれへんね」
「涼しく暮らすのは、本当に難しいですね」
「ほんまに。生きるのは大変なことばっかりやさかい。目いっぱい、すずまなあかんわ」
店主の女性と、顔を見合わせて、笑う。――煮えていた思考も、ゆっくり冷えてゆく。
手の中で、麦茶のグラスの氷がゆっくりと溶けてゆく。たわいない話と、目くるめく風鈴に満たされた時間に、藍は気づけばすっかり憩っていた。
「……長く涼ませていただいて、すみませんでした」
「念のため、帰りに病院いったほうがええかも。気ぃ付けてね」
「ええ、そうします。本当にありがとうございました」
しばらくして店を出ると、すっかり陽は傾いていた。
空いっぱいに広がる夕焼けに、安堵の息を吸い込んで、深く吐く。いつの間にか、身だけでなく、心まですっかり軽やかな温度を取り戻していることに気づく。
ーーりぃん。
店主が藍たちに手を振る店先で、風鈴がひときわ強く、舌を弾く。
頬の横を、まだ温い風が過ぎていった。
*
「……というわけで、少しヒヤリと胸の冷える出来事でした。紫も、どうか熱中症には気をつけて。
けれど、暑さのおかげで素敵なお店に出会えたので、今年はあの軒先で感じた“涼しさ”を贈りたいと思いました。誕生日プレゼント、同梱しています。都会では窓も開けづらいだろうし、時期的にあまり長くは使えないかなと思いましたが、残暑厳しい折、どうぞ耳や心だけでもゆったりとお過ごしください。
今年もまた紫の誕生日を祝えることを嬉しく思います。素敵で楽しい一年を。
お誕生日おめでとう。
――藍」
すっかり長くなってしまった手紙をようやく書き終えて、封をする。後日あの店を再訪して選んだ風鈴と一緒に、緩衝材を入れた箱に詰めた。
ふと思い立って、窓を開けてみる。室内に入ってくる風は熱気と湿気を含んでいてまだまだ暑い。
すずまなあかん、ね。と自分に言い聞かせて、藍は窓を閉じる。
涼しく生きるのが年々難しくなる世界で、それでも、せめてもの手探りを繰り返して、選び、悩み、贈り、寿ぐ。小さな祝福を積み重ねてゆく力を信じて、明日は郵便局に向かおう。
そう、涼しい時間帯に。
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この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』8月号に寄稿されているものです。今月号のテーマは「すずむ」。夏まっさかりの今読みたい、読んで気持ちがすずしくなるような小説が集まっています。文活本誌は以下のリンクよりお読みいただけますので、ぜひごらんください。
https://note.com/bunkatsu/n/nb6dc3ce24df7
また、本小説は【連作】でもあります。お気に召した方は、マガジン「紫と藍のあいだ」からも本シリーズ作が読めます。どの作品からも読めますので、よかったらぜひどうぞ。
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