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一瞬のきらめきのような幸福感の正体が知りたくて、ぼくは今日も早く家に帰る。

上の子たちが生まれてからの3年間。ぼくは外からはいい夫に見えたと思う。

子どもたちと一緒に遊び、いつでも抱っこをし、残業せずまっすぐ家に帰る。

だけど、ぼくは本質的なことにまったく気がついていなかった。

出産直後の妻に必要なものは、育児をする夫ではなく、優しくいたわってくれる夫だということに。

もちろん、夫が家事育児をすることは必要だけど、ぼくはその行動自体が目的になっていた。

「子どもが生まれたら、男も家事育児をするべき」

そんな言葉が飛び交う風潮に影響され、ぼくは熱心に育児に取り組んでいた。

だけど、家事も育児も、その目的は「出産直後の体力が極端に落ちている妻へのケア」なのだと、今では思う。

「妻へのケア」という目的を理解していなかったぼくは、ただ家事育児をすればいいと思い込み、妻への思いやりに欠けていたんだと思う。

「妻へのケア」という視点に立てば、他にやるべきことがが見えてくる。

妻の話を聞いてあげたり、「母だから」という理由でがんばりすぎてしまう妻を制して、ゆっくり休ませたり。

産後すぐの妻に必要なものが「いたわってくれる夫」だということは、今ならとてもよくわかる。

だけど、ぼくはそううまくはいかなかった。

それは、「妻へのケア」という目的を理解していなかっただけではなく、「ぼくが妻にケアを提供できる状態ではなかった」ということも、一つの原因なのだと思う。

女性のなかには、「なにを言い訳がましいことを言っているんだ」と思う人もいるかもしれない。

だけど、出産直後の「夫」になにが起こっているのか?

なぜ「妻のケア」という視点を持ちにくいのか?

お互い大切に思い合っているはずの二人が、なぜすれ違ってしまうのか?

男性視点からみたこれらの疑問の答えを、多くの女性に知ってもらいたいとぼくは思う。

そして、その答えは「夫婦がお互いにケアを期待するタイミングと、ケアを実行できるタイミングのズレ」にあるのだと思う。

「アツさんにとっても、魅力的なオファーじゃないかな」

オーダーメイドのスーツを着こなした彼は、ブラックコーヒーを飲みながら、ぼくを見つめそう言った。

それは妻の妊娠がわかり、ぼくが激務すぎる職場を離れようと考えていた時期でした。

ビジネススクール(グロービス経営大学院の単科生)の同期だった彼は、自分の会社を作り、順調にキャリアを積み上げていました。

彼の会社にはエンジニアが多く、プロダクトを作ることには困っていませんでしたが、ビジネスの次のフェーズとして、プロモーションができる人間を探していたのです。

ぼくはプロモーション専門の企業で働いており、これから生まれる子どもたちのために収入を上げなければと焦っていました。

彼からの連絡は、まさにそんなタイミングでした。

自分が興味のある分野の仕事ができる。責任ある立場にもなれそうだ。

ただ、ベンチャーのため給与はそこまで高くはありませんでした。

ありがたい話だったけれど、ぼくは丁重にお断りし、前職のツテをたぐり、給与が高く、今までの経験が活かせる大きめな規模の企業に転職することになりました。

そうこうするうちに双子が生まれ、ぼくと妻は嵐のような忙しさに身を置くことになったのです。

毎朝5時に家を出て、残業せずに家に帰ってくる。双子の世話に明け暮れ、翌日また5時に家を出る。

そんな暮らしが2〜3年ほど続きました。

毎日睡眠不足で倒れそうになりながら、ぼくは育児に力を入れていましたが、妻は寂しさを感じる機会が多かったようです。

それは確かにそうだったのだと思います。

ぼくは、(男は子どもが生まれたら育児をするものだ)と思っていたので、「育児」には力を入れていたのですが、家事育児の本来の目的である「出産直後の疲弊した妻を支える」ということをまったく理解していなかったんです。

それに転職したばかりで、実績を積んで自分の存在感を社内に強く認知させたいとも思っていました。

そうすれば、給与は増え、子どもたちの養育費に悩むことはなくなると思っていたんです。

海外出張にも毎月行き、仕事でそれなりの結果も出せるようになっていきました。責任ある仕事も回ってくるようになりました。

ただ、会社で頼られることが増えてくるにつれ、家庭に振り分けられるパワーは減っていったのです。

家庭も仕事も全力で取り組んでいましたが、ぼくは疲れ果て、自分自身のケアさえ満足にできていませんでした。

そんな状態で妻のケアを考える余裕もなく、ただ目の前の双子のお世話をすることで「なんとか父親をやっている」状態でした。

妻はこの頃のぼくらのことを「シフト制双子お世話人」と呼んでいました。

朝晩交代で双子のお世話をする業者のような関係でした。

もちろん家族としての絆はあったかと思いますが、夫婦としてお互いを気づかい合う余裕は、ほとんどありませんでした。

そんな日々が3年間続き、ぼくの収入は若干上がり、生活費の大きな心配はなくなっていきました。

ですが、まるで交換条件であったかのように、夫婦の絆は消えていったのです。

ぼくらはお互いに気づかうことがなくなり、あたたかな言葉をかけ合う習慣も消えていきました。

夫婦の絆を失う代わりに、ぼくはキャリアを少し前に進めることができた。

ですが、それはあまりに大きな代償でした。

出産直後の妻には、ぼくの支えが必要でした。

疲弊した体を休ませ、体力を回復させる時間が必要でした。

初めての育児にがんばりすぎてしまう妻に「そんなにがんばらなくて大丈夫だよ。おれがやるからね」と、いたわりの言葉をかける必要があったのです。

ぼくには妻をケアする必要があり、妻は本能的にそれを求めていたのです。

ですが、ぼくは経済面で家族を支え、育児をすることで子どものケアをしないといけないと焦っていました。

ぼくには「お金の心配」と「子どもの世話」しか見えていなかったんです。

本当に大切にしなければいけない相手は、目の前にいたというのに。

育児と仕事で疲れ果てていたぼくには、妻をケアする余裕がほとんど残っていませんでした。

それが「ケアを期待するタイミングと、実行できるタイミングのズレ」へと、つながっていったのです。

「妻へのケアの必要性の認識」が抜けていたことも原因でした。

そして、その問題をやっと回収できたのが、三男の誕生でした。

双子出産から4年後、偶然授かった三男の誕生を前に、ぼくは過去の失敗を取り返そうと決意しました。

産後すぐの女性に必要なのは、家事でも育児でもなく、ましてはイクメンでもない。

ただ、「妻を支える夫」だと決意をあらたにし、3ヶ月間の育休を取ることにしました。

転職から4年が経っており、ぼくは中堅として働いていたので、育休を取りやすい環境になっていたんです。

4年前の出産時は、転職したばかりのタイミングで長期の休みは取りづらかったのです。

当時は男性の長期育休はメディアでも扱われておらず、ぼくは男性は長期育休は取得できないものだと思い込んでいました。

ですが、今は事情が違います。

仕事ではそれなりの存在感を出すことができているので、育休を取ることに引け目を感じる必要はありません。

男性の長期育休も認知され始めており、社内の理解も得やすい環境にありました。

まさにぼくは、「妻へのケアが実行できるタイミング」にあったんです。

「妻がケアを期待するタイミング」と「ぼくが妻をケアできるタイミング」がぴったり重なったのです。

4年前とは違う。今なら妻との絆を取り戻せる。

三男の誕生から4年が経ちましたが、この4年間は夫婦の絆を作り上げていった期間でもありました。

家事や子育ては「手段」でしかなかったんです。

妻を支えるための手段でしかなかったんです。

ぼくにとっての家事育児の目的は、「妻を支える」ことだったんです。

それを痛感した4年間でした。

今のぼくと妻は、お互いに気づかい合う関係性を築くことができています。5年前の自分には想像できなかったような関係を、妻と築くことができたんです。

ですが、「家族のために生きる」ことは、「キャリアにおける自己実現を手放す」ことでもありました。

仕事に力を入れることはできず、家庭と仕事の板挟みで鬱気味になり、ぼくはキャリアダウンをすることにしたのです。

なにかを手に入れればなにかを失う。

どんなこともトレードオフなんだと思うんです。

はたから見たらぼくは、家庭のために出世を諦めた人に見えると思う。

キャリア構築という「自己実現」を諦めた人に見えると思う。

だけど、そんなぼくだから見える景色もあるんです。

「妻へのケア」を選んだからこそ、ぼくは妻との関係を取り戻せるタイミングをつかむことができたんだと思う。

「妻へのケア」を選んだ人間が、自分を犠牲にし続け、望む人生を手に入れられないかというと、そうではないとぼくは思う。

他者と自分を比較せず、自分のなかにある幸せを見出そうとする行為の連続のなかで、自分が望む人生は見えてくるのだと思う。

妻と子どもたちと過ごす毎日のなかで、一瞬のきらめきのような幸せを感じることがあるんです。

まばたきのようなほんの一瞬、現れては消えるこの幸福感の正体が知りたくて、それをもっと感じたくて、ぼくは今日も早く家に帰るのだと思うのです。






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