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むさしの写真帖

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「写真っていうのはねぇ。いい被写体が来たっ、て思ってからカメラ向けたらもう遅いんですよ。その場の空気に自分が溶け込めば、二、三秒前に来るのがわかるんですよ。その二、三秒のあいだに…
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2024年7月の記事一覧

la ruche

la ruche

ここで飲んだ膨大な量のコーヒー。
ここで過ごした膨大な時間。
ここで会った数え切れないほどの人たち。

ここは僕の窓の一つだった気がする。
他の窓から見る世界とは全く違う世界が見えた。
でも開けた窓はいつか閉じなければならない。

もう今は新しいマンションが建ってしまった。
ここでアルバイトをしていたコは、今をときめく社長になったりしている。
10年も前に閉店したのだけど、気が付いたら通い始めてか

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水難事故

水難事故

(2015年の記事です)

まあ怖い話の季節である。
テレビなんかでもボチボチやってるし、コンビニでも書籍コーナーで稲川淳二さんが怖ろしげな表情で写っている DVD が売られていたりする。
売られているという事は、ちゃんと需要があるという事だろう。
今日はそんな話である。
といっても、僕が直接幽霊を見たとかではない。
知り合いの友達とかいう赤の他人の話でもない。
今週に入って、僕は三重県の県

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路面電車

路面電車

岡崎にいる頃、豊橋は名古屋よりも近いところなので、仕事でたびたび出向いた。
面倒を押し付けられたという話もある。

名鉄やJRでも行けるのだけど、我が家から最寄り駅までが結構山あり谷あり(は、ちょっと大袈裟)で遠いから車で出かけた。
まあ東京や大阪の便利なところにお住まいの方には理解できないだろうけれど、名古屋あたりでも車がないとものすごく不便な状況が頻繁にあるのだ。

豊橋は一応新幹線の駅もある

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階段の上にいる「ぼく」

階段の上にいる「ぼく」

なんでも今日は「幽霊の日」なんだとか。
だからって訳でもないけど、ちょっとひんやりする話でも。

小学校も2年か3年くらいの頃だったと思うから、もう半世紀も前の話だね笑
でもあの時の事ははっきり覚えてるんだなぁ。
夢だったんじゃないかと思う事もあるけれど、母に後年こんな事がなかったか?と訊ねたら、珍しくぼくが泣き叫んだから覚えてると言っていた。
それくらいびっくりしたんだよ。

ちょうど今くらいの

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SAWADA

SAWADA

かなり前の話だが、玉木宏が沢田教一の足跡を追う番組を見た。

沢田教一については、あまり良く知らない。
同様に玉木宏についても「たまき」であって「たまおき」ではないので「たまおきひろし」とはならずに、象印スターものまね大合戦の司会をやる人ではない程度の知識である。
ああ、それと名古屋の人だと言う事。
同じ名古屋人でもエラく出来が違う。
無論、僕のが良いに決っている。
番組は玉木の沢田への思いであっ

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ほっつきある記6

ほっつきある記6

GF1にオリンパスのBCL1580で。
さすがに夜景はベランダの手すりに固定した。

オリンピック

オリンピック

東京オリンピックが開催されるというニュースが流れたのは2013年だったか。
ぼくはまだ愛知県岡崎市に住んでいて、週に何度か母の介護の為に名古屋の実家に帰る日々を過ごしていた。 

7年後に東京でオリンピックやるんだと

ぼくが母にそう言うと

「前のオリンピックも大騒ぎだったねぇ。あんた覚えとる?」
何言っとるの、前の時はオレはまだ生まれとらんがね
「あれ?ほうだった?」

なんて言って笑っていた

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モモエ

モモエ

物心ついた頃、記憶の中にある一番古いアイドルは誰だろう、とふと思う。
天地真理か、浅田美代子か、麻丘めぐみか。
それでもはっきりアイドルと認識できるのは、やはり「花の中三トリオ」からだろう、と。
中でも山口百恵は別格であった気がする。
人気絶頂の 21 歳という若さで引退し、その後一切芸能界に戻る事はなかった。
その潔さもさる事ながら、現役当時も他の二人とは違った、ふと見せる「翳」のような物が彼女

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