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私のバベット

好きな映画は、それを観たシチュエーションまで詳細に憶えているような気がする。

Rinさんの記事で取り上げられている「バベットの晩餐会」を初めて見たのは、30年以上前のフランス。

テレビがお友達というのは、いまとさほど変わらない。
テレビは友達であると同時に、かけがえのない教師だった。
日本では、挨拶とトイレの場所を尋ねる例文くらいしか覚えられなかった超低能語学力の私は、フランスのドラマで日常会話のラフな言い回し、クイズ番組の賞金を賭ける場面で数字の表現を学んだ。

映画もよく見た。
英語のセリフにフランス語字幕をつけたものは、英語もフランス語もわからない私には、やっぱりわからないのだが、そこは役者さんの演技力。
セリフがわからなくても、なんとかなることは多い。

シチュエーションや役者の表情から、展開や心理を読み取るために、ものすごく集中して見る癖がついた。
だから、たぶん、一生懸命読み取ろうと努力しなくて済む日本のわかりやすいドラマに、私は惹かれないのだと思う。

当時は、思ったよりも、たくさん吹き替えがあった印象だ。
日本映画もフランスの声優さんが吹き替えている。
薄汚い長屋に住む傘張り浪人がフランス語を喋っているように見える図は、それだけで面白い。

「二十四の瞳」のリメイクもので、武田鉄矢(ヒロイン田中裕子の夫役)の声がフランスの声優さんに吹き替えられていて、ムッシュウとか呼びかけられているのは、もう笑うしかない。
申し訳ないが、武田鉄矢ほどフランス語が似合わない人はいないと思う。

「バベットの晩餐会」という名前すら知らなかった。
デンマーク映画なんてのも初めてだった。
マイナーだからか、珍しく吹き替えもされていない。
デンマーク語のセリフにフランス語の字幕がつく。
英語にフランス語字幕の何十倍、何百倍もわからない。

ときどき、知っているフランス語が字幕で出ると、キャッ!と叫ぶくらい嬉しいのだが、喜びに浸るひまはない。
100を聞いて1わかる言葉から、セリフ全体を想像しなければならない。

デンマーク語は、私の知っている外国語の中では、オランダ語やドイツ語に似ている感じがする。
フランス語のようなリエゾンがない(少ない?)分、知識があれば聞き取りやすいような気がしなくもない。
耳的には、好きな語感だ。
しかし、語感に酔うひまはない。

だから、言葉以外で語られるものを、寸分も見逃すまいと思った。
それは、家でテレビを観るという日常行為を超えた、非日常感を私にもたらした。

そのことと、ヒロインが非日常感を保ったまま、それを日常にしていく過程が重なった。

舞台となった寒村は老人ばかりが暮らしている。
敬虔なキリスト教徒である村人は、清貧を常とし、無用な娯楽や無駄に笑うことすら遠ざけるかのごとく、ただ祈りの日々を送っている。

そこにバベットがやってくる。
パリから来た戦争難民の彼女は、この村に置いてもらうかわりに、老人たちの食事や身の回りの世話をすることになる。
その後、パリに残った弟からロトに当たったという知らせが届く。

そして彼女はその賞金をすべて費やして、盛大な晩餐会を開くのだ。
当時は思った。
村人のためにそこまでできるのはすごい。
でも。

いまならわかる。
彼女は、自分自身のためにそうしたのだ。

そして、見たこともないご馳走が、頑なだった老人たちの心をほぐしていく。
老いた姉妹は、封印してきた過去の恋を思い出し、解き放たれた思いは、彼女らの頬に微笑を蘇らせる。

賞金のすべてを使い切ったバベットは、その後もこの寒村で貧しい暮らしをしていくことを決意する。

だけど、彼女は幸せそうだ。
彼女は、その料理によって村人たちを幸せにし、村人たちの幸せな顔は彼女を幸せにした。
その幸せは、料理が消えたあとも、すべての人の細胞となってその後の人生を支えていく。

以前の財布の記事で、「夫に財布を買ってもらう幸せ」と「自分の力で財布が買えるようになる幸せ」について書いた。
そこにもうひとつ加える。
「誰かの幸せそうな顔を見る幸せ」だ。
そのために自分の力を尽くせる幸せもだ。

帰国して何年か過ぎて、いまのEテレで「バベットの晩餐会」が放送された。
もちろん、日本語の字幕付き。
そこで、答え合わせをした。
そんなに大きくは違っていなかったと思う。

だけど。
最初に見たときの感動には敵っていない。
人生も、合っているか違っているか答え合わせのできないところに、味わいがある気がしている。

日本語字幕の再視聴のとき、これはバベットにとって一種の「清算」だと思った。
これまでどんな清濁の日々が彼女にあったのか、つぶさには語られない。
でも、ここでいったん清算し、自分にとって何が幸せかを確認できる状況自体が幸せなのだと感じたことも書き添えておく。

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