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誰の失敗も望まない

Netflixで「Blown Away」邦題「炎のガラスマイスター4」を見た。
1年前に、シーズン1~3とクリスマス編を見てから、ずっと新シーズンを待っていたもの。

技術を競うリアリティ番組が好き。
昔、テレビ東京がやっていた「テレビチャンピオン」系統だが、これについては内容によって興味のあるものだけ見ていた。
「料理の鉄人」と「ビフォー・アフター」はほとんど見たことがないが、その理由は自分でもわからない。

NHKの「魔改造の夜」と「ニッポン知らなかった選手権実況中」は欠かさず見ているが、制作過程の試行錯誤は見たいけれど、個人的な「秘話」みたいなのがない構成を望んでいる。
ノーベル賞受賞者の奥様にインタビューして、結婚当初の生活の苦労話などをさせる企画は嫌い。
大谷選手の活躍は嬉しいが、奥様がどんな人かはどうでもいい。
でも日本ってこういうの好きだよね。

「ガラスマイスター」は、10人の参加者でスタートする。
名前と職人歴みたいなのは紹介されるが、最初は見た目でインパクトのある人しか覚えられない。

1回ごとに与えられた課題を製作して、都度最優秀者と脱落者が決まる。
そうやっていくうちに、人数が減っていくせいもあるけれど、それぞれの作風や技術力やセンスがわかってきて、人の区別が容易になる。
あえて「こういう人生を送ってきた」とか「家ではこんなパパです」みたいな紹介がないから、作品や言葉や所作の断片から受けた印象がすべて。
その人をわかったような気にならないで済むところがいいし、わからないまま心を寄せていくのがフェアな感じでいい。

昔、人物をとらえていく研修で、映画「十二人の怒れる男」が使われていたが、それに似た感覚もある。
陪審員8番は、ジャック・レモンではなくヘンリー・フォンダ版が好み。
三谷幸喜の「12人の優しい日本人」も好き。

以前「オリジナルの世界」という記事にも書いているが、こういうリアリティバトル、回が進むうちにだんだんと「推し」が生まれる。
けれどそこには「この人は人としてイマイチな感じだけど作品が好き」とか「この人の作風は好みじゃないけどなんか勝ち残ってほしい」とかがあって、自分の好みが右往左往するのが面白い。
「技術」に寄るか「芸術性」を重んじるか、わからないくせに人柄で判断しようとするのか、自分の中の天秤が揺れるのを楽しむ。

技術系バトル番組にはまり、別のところで見た「ソーイング・ビー」「ブリティッシュベイクオフ」に引き続き、ガラス職人が腕を競う「炎のガラスマイスター」、フラワーアレンジや造園の技術バトルの「ビッグ・フラワー・ファイト」、溶接技術で戦う「メタルショップ・マスター」、次世代のファッションを競う「ネクスト・イン・ファッション」などを立て続けに見ている。
どれも日本と比べてオリジナリティーに重点を置いて評価しているところが、とても気に入っている。

「オリジナルの世界」

特に「ガラスマイスター」では、失敗したときの対応が興味深い。
ガラスは割れるものだから。
残り時間がわずかになって割れてしまったとき、修復を試みる者、破片から別の物として再構築する者、破片に芸術性を持たせて展示する者まで、それぞれの思いと工夫が映される。

先達の言葉として「自分の作品に執着するな」というのがあって印象的だった。
自分の思いを表現すべく心を込めれば込めるほど、一瞬のミスを悔んだり嘆いたりするのは当たり前だ。
でも、それをしないのが成功の秘訣なのだと。
割れたものは戻らない。
制限時間は迫っている。
泣いている暇はない。
人は失敗するものだから、それをどうするか、瞬時に対応を判断して実行する。
その素早い機転と決断に感動する。

そして、参加者も視聴者もみんな、ハラハラしながら全員が全員の成功を祈っているのが感じられて気分がいい。
同じ職人として芸術家として、誰かの作品が割れたことで自分が勝ち残れれば嬉しいと思っている人はいないに違いないと信じられるところ。

スポーツ選手はよく「自分のプレーをしたい」と言っているが、つまりそれは「練習してきた成果を出してミスのないプレーを」ということだろう。
そして。
相手のミスを待つ、あるいは誘うのだ。
両者とも全部正確なプレーをしていたら勝敗はつかない。

だから競技を見るとき、たとえばフィギュアスケートなら優勝争いをしている「推し」じゃないほうの選手に対して心のどこかで「転べ」とか思ってしまう。
サッカーで応援してないほうのシュートに「外せ」と願ってしまう。
そうせずにいられない自分が、なんとなく好きじゃない。

昔はそういうことをあまり考えずに勝敗を楽しんでいたが、年齢とともに「誰かの失敗を願う」のがストレスになってしまった。
数えきれない失敗を積んで、地団駄踏んで生きてきたせいかもしれない。

「国のために」闘うのが好きじゃないし、負けて「チームに申し訳ない」と泣く姿も見たくない。
なので、いまはスポーツ中継をほとんど見ない。

Eテレでやっていた「ソーイング・ビー」が終わってしまってとても淋しい。
料理バトルは、テレビで見ている人には味がわからないので、審査員の言葉を信じるしかないのが「うーん」というところ。

コロナ前は、美術団体の公募展によく足を運んだが、受賞作を見た際に「これはきっと審査員の好みに合っただけだよなぁ」と思うことがあった。
そして審査員の名前を見て納得したりした。
料理の審査にもそういう雰囲気がなくもない。
だから、一目見て、芸術性だけでなく技術力もわかりやすい技術バトルに惹かれるのだろう。

有料の配信番組は、私には贅沢かもしれないけれど、旅にも飲みにも行ってないので、まあいいじゃないかというところ。




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