見出し画像

24歳の起業家、挫折。

最近、
人生で1番挫折している。

大抵のことはポジティブに捉えてきたが
最近はヤバい。

結論から言うと
「夢・自分が何をして死ぬのか」が分からなくなった。

これまでの人生では、
比較的、その瞬間に自分が何をすべきなのか直感的に分かっていた。
(教科書の落書き、漫画、遊び、音楽、デザイン、プログラミング、、、、)

しかし、今はわからない。
要因は3つあると思う。
「社会人」「嫁・子供」「死」である。

深掘りしていく。

1.社会人
「やりたいこと=売上」とは限らないということ。


私は、ようやく2年の休学期間を経て、学生が終わり、4月から社会人になる。現在は、インターンという形で、約半年ゲーム会社で働いている。
その中で感じたことは「自分が作りたいもの=正義ではない」「直感=意味を持たないもの」という雰囲気である。
今まで、自分が作りたいものを「音楽・イラスト・ゲーム」を通して形にしてきたが、社会(というより組織かもしれない)では違う。
お金を主軸に置いたこの社会では、売上(どれだけ多くの人に刺さるか)が重要であり、個人の願望などどうだって良い。(たまたま作りたいもの、作ったものがニーズに当てはまる場合もある)
意見を通すにしても、直感ではダメである。論理で説得せねばならない。
優秀な人の話ほど「なんとなく合っていそう感」が絶妙に上手いのもポイント。ただ論理ではなく、直感(なんとなく皆が共感する要素)を少しだけ混ぜるのが上手い。
学生までは自分の直感を信じて論理は使わず生きてきたが、社会に出るとそうはいかないみたいだ。論理は必須の武器となる。
しかし、論理には普遍性がある。
そのため、「自分じゃなくてもいいやん。誰でも解答にたどり着くじゃん」感が否めない。ここに私は挫折しているのかもしれない。
「私にしか作れないものを作りたい」のに、誰が作っても変わらないような仕組みが気に食わない。

2.嫁・子供
「成功=幸せ」とは限らない。

子供を作らなかった人のツイートを見た。
「子供がいない生活は確かにお金はかからないし、自由だけど、歳を取るたびに”未来”への関心がなくなっていく」という内容だった。
私は、もともと子供なんか要らないと思っていた。
自由を阻害されるのが嫌いな私に、子供を育てられる自信などないからだ。
しかし、将来のことを考えると子供がいたほうが、幸せなのではないかと思い始めている。「自分が何かを成し遂げたとして、お金をたくさん持っていたとして、何が残るのだろう。」と、言い訳じみたことを思ったりしている。

3.死
いずれ死ぬのに、何を頑張れと言うのだ。

ずっと前から分かっていたことだが、いずれ死ぬ。
だからこそ、今この瞬間を大切に生きなければいけない。
そんなことは分かっている。
しかし、いずれ死ぬのに、何を頑張れと言うのだろうか。

少しの社会人経験を経て、世の中のための自己犠牲の重要性は分かった。
少し遠い将来を考えた時に、自分の幸せのために子供を作るべきな気がすることも分かった。
そのために必要な時間とお金を逆算した。
それなりに犠牲にすべき時間があることを知った。
その結果、
「俺は、なんのために生きるのか?」が分からなくなったのだ。

夢はある。
「宇宙にワクワクを届ける」そんなクリエイターチームを作り
こんなクソみたいな世界に少しでもワクワクする瞬間を増やしたい。

ただ、「自分のこと」を考えると
世の中のために自分が掴めるであろう幸せまで犠牲にする必要があるのだろうか、と思うようになった。
私の夢には、それなりの時間とお金、そしてエネルギーが必要である。
「1度きりの人生で」
この言葉の魔力に良くも悪くも振り回されている。

世界を変えた、憧れの起業家スティーブ・ジョブズ
「思考は現実化する」
私は今、最大の挫折を味わっている。
私の内面に問題が起きている。

いち早く「思考」をまとめ、
生きている間に「現実化」しなければ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?