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私のトリセツあんど備忘録 ⑨ 感情移入と自己投影 ― 平等意識のリスク


相手にしてあげたんだから自分にも何か見返りがあってほしい、と思うのは
よくあること (?) だとして、私の場合、誰かに何かをしてもらったら、そのぶん自分も何かしなければならない、という感情が強く湧いてしまう のが
我ながら面倒だと思う。

「いいね」 をしてくれた相手に、マッチングしたいと思えないことを申し訳
なく思ってしまうのは、その最たるもので。
遠方の人から 「車で迎えにいくよ!」 と言われたところで (そもそもよく知ら
ない相手とドライブなんかしたくないが)、遠路はるばる会いに来られたり
したら、それに見合うだけのことを自分もしなければならなくなる、という
ふうにまず考えてしまう。
うまくいかなかったら気まずいし (それゆえアクセスしにくいところ在住の
人は基本的に対象外にしている)。

だから、ここだけの話だけれど、奢る・奢らない論争なんて、いっそ私には
ナンセンスだったりする。
昔から、奢ってもらうということにこそストレス感じてしまうので (仲良く
なった暁には、誕生日なんかに特別なお祝いしてもらえるとうれしいけど)、
探り合いの段階では基本的に割り勘でいいです、と思っていたりする。
スマートに割り勘に持ちこめる自信もないけど。
(心配性先読み癖 もあるみたいだ・・・)



ギブ・アンド・テイクの意識をもっていれば、とっても公平で対等な関係が
築けそうにだけど、ゆきすぎた平等意識はかえって不均等なパワーバランス
のもとになりかねない
危うさがあると思う。

たとえばの話だけど、私がすごくハイスペな人と結婚できたとする。
私には高年収の人と生活費を折半できるほどの収入がないため、そのぶん
家事などを多く負担しようと考える。
そして、いつしか心理的な上下関係ができあがり、私が相手のお世話全般を
やってあげるという、いわゆる家政婦化にシフトしてしまう、という流れを
容易に想像できてしまう。
相手の人が他者の好意にあぐらをかくことにあまり抵抗がないタイプだった
りしたら最悪だ。

奢られ貢がれバッチコーイで、堂々と専業主婦できる人、旦那の社会的地位
や収入なんかを笠に着てマウンティングかませる人って、つまりメンタルが
強いってことだから、その意味ではすっごくうらやましい!
「差」 がある中での 「平等」 「対等」 というものをすごく考えさせられる。




強メンタルを装っているけど実態は豆腐メンタルの私は、常にみみっちい。
ついこのあいだ、私が運営に関わっている某学会での出来事。
海外在住の会員がとある賞を受賞して賞金が出たのだけれど、受賞者本人
から 「日本から海外に送金するのはいろいろ大変だろうから、向こう数年
の自分の会費に充てるなりしてほしい」 旨、連絡があった。

私は (いつもの悪い癖で)、賞金もそれなりの額なのだから、どうにかして
送金できないものか、などと思案しまったのだが、学会の上層部は、ご本人
の意向に沿うことに何の問題もない、とあっさり事務的に決定してしまった
のだ。

私なら、せっかくの名誉ある賞をもらったのだから、いろいろ噛みしめたい
と思うのに ―― でも、それって私の感想ですよね、以外の何ものでもない
わけで。


そういえば私、教員免許を持ってはいるのだけれど、教育実習をしてみて、
自分は生徒に感情移入しすぎて自分の人生削ってしまうのが目に見えてる
から向いてないと痛感して、その判断は正しかったわけだけれど、今やって
いる非常勤講師の仕事で、がんばって書いたであろうレポートに不合格判定
をする時、受け取った学生ががっかりするだろうな、と心が痛んだりする。
正しい判断をしたわりには、あんまり学習できてない 💧
(温情で甘い点をつけても本人のためにならないし、大学のレベルもじわじわ
 落とすことになるんだから、と自分にいい聞かせているけどね)



”私だったら” は結局 ”私だったら” という仮定以外の何ものでもなく
先回りの気遣いが相手をダメにし、関係をもダメにしかねない ことをよく
考えて、もう少し機械的に、”あまり感情移入・自己投影しすぎない” こと、
尊敬や感謝もほどほどにしておく” ことを、習慣づけていかなければなら
ないんだろう、たぶん。
人間関係、むずかしい。

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