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「生きていく」を楽にする考えを1つ

※ 方法論ではなく感情の話です.

昨今の教育現場ではキャリア教育と称して,小学校段階から「生きること」「働くこと」を教育現場に入れるようになりました.
それはよく言われる「良い大学に入って,良い会社で働くこと」というモデルケースが本当に正しいのかを再び考えるきっかけになりました.00年代でも戦争があったり,不景気があったり,本当にこの世の中は永続的なのかを考えさせられました.

一方で,キャリア教育という言葉が先行し,「やりたいことを見つけよう」「やりたいを仕事にしよう」と一見やわらかい言葉で表現されても,その内容は非常に重たいものを突き付けてきます.

「未来なんて誰にも予測できない」のだからそれに則っていえば,「未来を決めさせる」のではなく,「未来への一歩」の背中を押すような言葉が必要なのかもしれません.

そんな風に考えていると,私の中に思い浮んだ言葉はこれでした.

人生はあとづけ

「本当にこれでいいのかな」と不安に思って一日,一週間,一か月と踏み出せないより,踏み出してみて〇×を判断するほうが合理的です.(アジャイルにやってみようということですね)

同じような言葉で「やらない後悔よりやって後悔のほうがいい」と言う方もいらっしゃいますが,「後悔」ってネガティブな言葉なのでそれを聞いて「よし,やってみるか」とは思いにくいかなと想像します.
どちらにせよ後悔するのか,と私は思ってしまいます.後悔するとわかっていて取り組む気には私はなれません.

1秒ごとに時間は前に進んでいる中で,何事もなければ80年,90年と生きていきます.ですから,失敗も後悔も損失もあります.時間は過ぎるのにウォーターフォール型で予想も予測もできない一歩は厳しいと感じます.

だから人生なんてものは後付けでいいから,やってみて違っていたなと思ってもそれを糧にしたり言い訳を考えたり「寄り道って大事だよね」って思ってみたりすることが実は逃げ道として大事な気がしています.

キャリア教育で大事なことは本人がどう感じるかにあると思います.
夢を語ったり,キラキラした言葉を並べることで「私の将来はきっと明るい」と,子どもたち自身がそう感じることは悪いことではありませんが,思わせることは良くないなとも思います.
つまり,他者がだれかの感情をコントロールし,そのように仕向けても他者は責任は持たないです.あくまでも決めるのは本人であることは十分に理解してもらわないといけません.

どんなことばでも結局はいいのですが,もっとポジティブで重荷にならないようなことばが思いつけば,きっとそれを子どもたちに伝えていくのだなと気軽にまた考えてみようと思います.


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