ー色の無い春の景色ー
思い出
noteを始めてしばらく経ってから気がついたことが有る。以前のことを思い出して書くようになったからなのだと思うのだが。
「私の思い出には色が無い」
思い出に色が有るかなんて誰にも聞いたことが無かったので、マッドさんに訪ねてみた。マッドさんは色付きで思い出せるらしい。
他の人達はどうなのだろうか。
モノクローム
ここ2日ほど体調が優れなかったのだが、今日を逃すと今年の桜を見ないまま終わってしまいそうだったので、近所まで花見へ行ってきた。
満開の染井吉野と八分咲きの枝垂れ桜。小さな花壇の花たち。
子供連れの夫婦。連れ立って来たであろう、初老の御婦人方。友人たちと談笑しながら、桜などそっちのけで弁当をつまむ人達。
そんな幸福そうな人達を見ていたら、気持ちが急に白け始め、何とも居心地が悪くなってしまった。
母親の手を引っ張って小さな水溜まりを見せに行った子は、家へ帰ってから理不尽に怒鳴りつけられ、殴られるなんて事は無いんだろう。
この次の瞬間もこうやって横にいる人と笑っていられるのだと、何の疑問も抱いていないであろう人達が、“今年も暖かくなったら咲き誇るのだ”という事に何の疑問も持ち得ない花たちを、笑顔で見上げている。
そんな事を漠然と考えていた。
向こう側に居る人達の世界と自分の属する世界に、透明で分厚い壁を感じたその時、思い出した。
自分の思い出には、こんなキレイな色たちは存在して居ないな。
彼方へ追いやられた記憶
私には、両親と花見へ出かけた記憶は無い。
記憶に持続性が無いので、もしかしたら行ったことが有るのかも知れないが、まるで思い出せない。
思い出せたところで、上に貼り付けた写真のように何の色も無いだろうし、親の顔なんて多分、黒塗りのお面の様にしか見えないだろう。
花見へ行きたいと言い出したのは私の方なのに、マッドさんと連れ立って歩いているうちに、心が泡立つような、何かが沸々と沸騰するような思いに占領されそうになって、軽く苛立っていた。
なぜ苛立つのか、今の今まで分からなかったのだが、この「色のない記憶」が、どれも幸せと程遠く、「楽しく幸せなはず」な花見と結びつかないからなのであろうと思う。
色が戻る時
普段なら公園を一周して帰るところを、半周で早々に引き上げてきた。
友人たちがSNSに桜の写真をアップしているのを見ていたから、自分もアップしてみた。それでも白々しいような気持ちが抜けない。
でも
さっきマッドさんが、食べかけのお弁当を風に飛ばされて笑いあった事。
帰り際にクラフトコーラを見つけて買って帰り、一緒に飲んだ事。
そんな他愛のない事がこの先きっと、色付きの思い出で残るのだろうと思ったら、花見へ行ったことも悪くないなと思えてきた。
色の無い思い出達に、自分は何の手出しも出来ないと思っていた。
でも、それが思い込みであったのなら、戦いようが有るのではないか。
向こう側に居る人達との壁が厚いままでも、きっと気にならなくなるのだろう。
だから、色付きの思い出を増やして、モノクロを上書きしてしまえ。
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