「足並みそろうと全滅しちゃうので。」 ある雑草学者のことば ――個展まで5日


今度の個展のタイトル「足並みそろうと全滅しちゃうので。」は雑草学者 稲垣栄洋氏の言葉で、2018年の朝日新聞の朝刊で鷲田清一さんのコラムに掲載されていました。

昨年秋頃にその時スクラップしていた記事を思い出して、今こそ覚えておきたい言葉だなと思ったのはあいちトリエンナーレを巡る出来事があったからです。

元々あいちトリエンナーレには閉会間近に行くつもりで、東京に住む私は作品の実物を見ることもできず、ただSNSやニュースで断片的に流れてくる情報でしか分からず全体像が見えないまま過ごす中で、こんなにもこの時代に思ったことを表現するということは不自由なことなのか、と思っていた。まず、作品を見ていない人が怒ってわざわざ会場に電話をしてまでやめさせようとすることに驚き、展示室が封鎖されたこと、多くの参加アーティストがそれに呼応するように自主的に作品を取り下げたこと、市長が座り込みして展示に反対したことにも驚き、実際展示を見に行った時には「展示再開」の文字が大きく掲載された展示の多さにショックを受けた。

上記は断片的にしか書いてなくて、色々な要素が重なり合った出来事であることに間違いないけど、はたから見ていた私はこれはアートの現場だけではなくて数年前から日本に漂っている「一人のクレーマーが最強」になってしまう閉塞感の延長線上にあることだな、と感じた。

何か少しでもクレームになる可能性があれば自主的に取りやめていく、それでブラッシュアップされてよくなるものもあるかもしれない。でも99人が大丈夫でも1人クレームを出す人がいたらやってはいけないとなる社会に私は不安を覚える。クレームを言う人はそれはそれで表現だし発言はしても良い。でも大人数に開かれているものを、自分が嫌だからしないでください、と言うのは違うと思う。一人クレームがあったからやめましょう、も違うと思う。それが展示の場合、差別的な表現だとしたら作品の中でも許されないけど、そうでなければどんな作品を見る権利も作る権利も奪われてはならない。作品は、時間を越えて、ある作家個人の感情やその時代の記憶を伝えてくれたり、見せてくれたり、想像することも創造することも教えてくれるものだ。

多様性という言葉を聞く日は多くなり変化していることもあるけど、このままでは多様な作品を見れる機会が失われてしまう。そんな不安や怒りがないまぜになっていた時に、冒頭のコラムを思い出した。

雑草は、多様であることが生き延びるための戦略。私は日本にこれからも住むし全滅したくないし、まだきっと変われると思う。今目の前の出来事は、社会、人間の性のようなもの、日本の政治、世界の状況様々な要因の上に成り立ってて、複雑で、どこも切り離せない難しさはある。でも誰でも心強く生き延びれるように、どんな表現も受け入れられる日本でいてほしいとその言葉を見ながら思ってた。

こんなきっかけで、この言葉も忘れたくなくて、今回の作品を作り始めました。

ただ、、、皮肉なことに、今は皆が足並み揃えてSTAY HOMEすることが人類が生き延びるために一番にできることなんだな、と思ってます。半年後がこうなるなんて思ってなかった。


展示まであと14日!
https://note.com/ashinami/n/n16b3fe30cee3



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