「自分を形成したルーツ」を探ることに、意味はないのか?
(画像:ドラゴンボール 第2巻 其之十五 七星球発見)
「自分史年表 -Chroniclize-」を使っていて、今、一番面白いと思う体験は、「自分を形成したルーツを再発見できる」ことだ。
【第四回】その時、自分は――社会的な出来事の中で|「自分史年表」を書く|Chroniclize(Android/iOS)
http://www.materialize.jp/art/android/9837/
過去のトラウマというものは存在しないと、流行りのアドラー心理学では説かれるが、それが原因ではないとしても、確実に、自分の何かが変わった瞬間というものはあるのだと、思えてならない。
三十何年の人生の中で、そういった体験はいくつもあった。
その中で、つい最近まで、長年、解消できない疑問があった。
なぜ、自分は、こんなにも、「バニーガール」が好きなのだろうか!
黒の!!
極めてオーソドックスな!!!
巨乳のバニーガールが!!!!
何故こんなにも好きなのだろうか!!!!!
絶対に、何かキッカケがあると思っていた。信じていた。
もしも、まったくキッカケというものが存在しないというのなら、自分は生まれついた瞬間から、バブーバブーの頃から、先天的に「バニーガールが好きという遺伝子」を保持していたということになってしまう。
こんな納得のいかないことはないと思っていた。悔しかった。先天的に変態であるという烙印はどうしても避けたかった。
最近ずっと「自分史年表 -Chroniclize-」を書き纏めている。小学生の低学年の頃から、漫画を集めるようになった。小学生の小遣いでは頻繁に買えないので、一年で買えた数冊を、大事に何度も読み返していた。暗記するほど。
ドラゴンボール、第2巻、亀仙人の発言、子どもながらに、とんでもない衝撃だった。そして、ウーロン、そのド変態さに、驚愕した。
戦慄で震えたのではない。
性的な欲動(リビドー)で震えたのだ。
幼いながらに。
ここで、先天的な変態性が開いたとは思っていない(思いたくない)。自分にとって、性的なものへの出会いは、記憶するに、これが初めての体験だった。
性的嗜好というものは、「刷り込み」で行われるのではないだろうか(と思いたい)。
男子で集まって話を聞いていると、「始まりの欲動」が、今も忘れられないトラウマ(良くも悪くも)になっているという話が、圧倒的に多い。
もし、幼い頃、ドラクエの攻略本に描いてある「あぶない水着」のイラストを最初に目にしていたのなら、露出度の高い水着に屈する人生になっていたのかもしれない(今の自分はそんな水着には屈しない)。
理屈はともかく、ただこれだけは確実に、ブルマは、私の人生を変えた。
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