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セクシャルマイノリティの私が「人生半分損してるよ」と言われても傷つかなくなるまで

「人生半分損しているよ」

人を性的に好きになることがないと言うと、あるいは恋愛感情を抱かないと言うと、冗談まじりにそう言われることがある。

私は今、けっこう自分のことが好きだ。それに、この言葉がどういう背景をもって発せられているか分析済みだ。だから、「えー、こんなに美しくて、賢くて、性格も良くて、周りの人にも恵まれてるワタクシの人生が『半分』ですってー?!びっくりびっくり。うふふ~」って笑える。

でも、昔は結構傷ついていた。なんでそんな酷いこと言うの?って。

「人生半分損してるよ」って私に言ってくる人は、異性愛者に限らない。同性愛・両性愛・全性愛者の人からも言われることがある。アセクシャルの認知度の低さゆえの面もあるから、仕方がないなと思うときもあるけど、でも言われるたびにやっぱり結構凹んでた。

そして、「なんでこの人はこんな酷いことを言ってくるのだろう」ということについて、冷静に分析するうちに、あーこれはアセクシャルの認知度が上がっても、根本的な解決にはならないなと気付いた。相手のセクシャリティについて「人生半分損してるよ」って言葉を吐く人は、セクシャリティそのものについての捉え方が私とは全然違うのだ。(実際、同性愛について知っていても、「でも、女を知らないなんてやっぱり人生半分損してるよ」とか、「男試してみたら?新しい世界広がるかもよ」とか言う人いるもんね)

そもそも、相手の人生をジャッジして、「損してる」とか言うのが大変無礼だ、というのはここではおいておいて、セクシャリティの話に焦点をしぼりたい。

この発言の背後にある大きな認識のズレを理解するために、まず、誰か(Aさんとしよう)があなたに「私チョコレート”食べられないの”」と言う場面を想像してほしい。

この”食べられない”には二つの異なる理由が考えられる。①チョコレートの味や食感が苦手だ②アレルギーがある

①の場合、「え、そんな人生半分損してるじゃん!」って軽口をたたいても、許容されるかもしれない。Aさんはチョコレートを食べることも「できる」。チョコレートを食べないということは、Aさんの選択の結果である。もしかしたら将来、Aさんは自分で選択してチョコレートを食べるようになるかもしれない。

②の場合、つまりAさんがアレルギーがある場合に「え、そんな人生半分損してるじゃん!」って言う人は、相当無神経だ。アレルギーがあることは、Aさんの選択の結果ではない。自分ではどうしようもできないことに、「損な人生だね」なんて声をかける人は、ただただ意地悪な人だろう。

セクシャリティは、②に近いものである。しかし、①に近いものだと、しばしば誤解されている。

アセクシャルの人に対して、「人生半分損している」と言う人は①の感覚で発言した可能性が高い。でも、アセクシャルの人はその発言を②として受け取る。発言者にとっては軽い冗談、でもアセクシャルの人が深く傷つくのはこういうわけである。

私は、相手から「人生半分損している」って言われたら、「あーこの人は①だと思っているんだな」と思うようにしている。相手に「セクシャリティって、②なんだよ」ってことを伝えられたら最高だけど、それをできなくても自分の心を守ることはできる。

そして、発言者の側に立つときは、①についても②についても、「人生半分損している」なんて酷い言葉を、冗談のつもりでも吐かないようにしている。

笑いは、相手を傷つけなくてもとれる。相手を傷つけるやり方でしか笑いを取れない人は「おもろない人」だ。こういう人に限って、「なに冗談なのに、傷ついちゃってるの?真面目かよ」とか言ってくることが多いけど、私はそんな「おもろない人」のために、自分の心をすり減らてあげたりなんかしないのだ。

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