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ナースあさみ
2019年1月23日 18:32
今日の午前中まで温泉に泊まってきた。友達となんのことない話をして美味しいご飯を食べて温泉入ってゴロゴロしてお肌すべすべで漫画読んでTwitterするという最高な休日だった。帰りの電車で海や町を見ながらなんでもないこういう幸せの定義についてぼんやり考えていたんだけどたぶん、私にとって阪神淡路大震災での被災が大きな原体験のひとつになっている。(過去記事はこちらから)
2019年1月17日 14:38
地震を含む災害、病気や離縁などを人生の糧にして発信している人もいるけれど自分の養分にできないまま底辺へおちていく人もたくさんみてきた。ある意味、病院や、例えば刑務所のような場所は社会の中の底辺を見るにはうってつけの場所でその人の分だけ物語と問題がある。しかも、それは周辺の人を巻き込んでいるのでひとつをほどけばすべて解決とはいかない。家族がいないお金がないなどはまだか
2018年1月17日 15:09
1月17日。今日で阪神淡路大震災から23年がたった。昨日のこの記事にも書いたけどもう一つ忘れられないことがあるので残しておく。_________________まずはタイトルの理由から。阪神淡路大震災に被災した時の給食を思い出すからだ。あの時、私の住んでいた西宮市では17日の夜に電気が復旧した。電子レンジやホットプレートでの調理が可能になったのでなんとか暖かい食べ物を食べ
2017年4月10日 06:00
友人にオーラソーマ(カラーボトルで自分を知るツール)をみてもらった時死を意味する数字が出てきたことに、どこか納得したことがある。看護師という職業のせいなのかもともと死に縁があるのかわからないけどなんとなく、死は、いつも私の心の中にある。こういう風に考えるようになった原因は紛れもなく阪神淡路大震災だ。当時7歳。燃えさかる街街をはびこるガス空を覆い尽くす黒い煙その向こう側から
2017年1月17日 08:00
先週末は今年一番の寒気でしたね。吐く息もメガネも真っ白に雲ってあ、寒いんだな・・・と実感する帰り道。そんな時は阪神淡路大震災に被災したあの冬を思い出す。暖かいことが贅沢だったあの時。給食はコッペパンと魚肉ソーセージ。変わるメニューはジャムだけ。生鮮食品であるバナナがつくとみんなから歓声があがる。1日に暖房を使えるのは夜寝る前のみ。朝起きてからはぴょんぴょんしながら着替え
2016年2月14日 19:05
※お通夜もカレーと同様、写メなんてなし。この前、地震関連のニュースがあって思い出したことがあります。実は、阪神大震災に被災していましてね。西宮市ってところにいてあの、高速道路横倒しバーンっていう写真有名ですよね?あそこの近くに住んでました。当時、電気は1日で復旧したんですけど他のライフラインは全然復旧しなくて。ホットカーペットの上が家族全員の居場所でした。あとは、なんといってもテ