ないのなら、自分で作ればいい
今更ですが、
『ミワさんになりすます』の
脚本書いてる人って…
とくお組の徳尾さん?!
創像工房のメンバーたちによる劇団の。
ですよね???
大学に入る前から演劇には関心があり、
創像工房は気になっていたもので、
友達(正確には先輩)が
所属していた縁もあり、
何度か公演を観に行ったものでした。
演劇が好きだったから、
必然的に
周りにもそういう活動をしている
仲間が集まってました。
自分で脚本書いて、
音楽も手がけてミュージカルにしてる子や。
誰もが知る名だたる有名演出家の元で
役者をしながら、
ゆくゆくは
自分の劇場を持ちたいという人 etc.
自分はつくることに興味はあったけど、
なぜだか役者になることも
監督するようなこともなく、
ひたすら観客であり続けてました。
ただ単に、
演劇を〈観る〉のが好きで。
この監督はどんな演出をして
我々を驚かせてくれるのか、とか。
そういう視点で楽しみを探しに、
味わいにでかけていました。
「演じるとは何ぞや」の類の授業も好きで。
はたまた、
制作者による授業にも興味津々で
「なぜこの作品をやる意味があるのか」等々考えさせられることも。
↑全く単位とは関係ないモグりの授業(笑)
クリエイターになりたかったから、
フジテレビのクリエイターズスクールに
応募。
書類選考にあった質問が
本当に面白いもので、
どうひねってみようかと考えるだけで
ワクワクだったのを思い出します。
こういうのが好きなもので。
他人が絶対思いつかないってものを
自信満々で書いてました。
全国から何人の応募があったか、
倍率はどれほどのものだったか
知らないけど、
諸々の選考結果から、
記念すべき第一期生に。
そこで知り合えた同じ大学以外の、
同じ方向に向かって進もうとしている
仲間たちは、
しばらく会ってはいないけど
心のなかでは今も同志。
テレビの番組制作している人もいれば、
違う業界に身を置いてる仲間もいるけど
それぞれがそれぞれの場で仕事していて
みんなから未だに刺激を受ける。
私は、
学生時代に就職したいところが
そこ以外には考えられなかったので
本命から縁がなかった時点で終わってて。
周りがばんばん就職決めていく中、
(しかも大手の企業さんだったりする)
もう卒業控えて、次がないっていう
むなしい現実を抱えこんでました。
ある日のこと。
大学の中庭で、
こんなことがしたかったのに
本命から見放されちゃったから…と
ある友達に話したんですね。
すると、
「自分でつくればいいんだよ」って
言ってくれたんです。
もう、その時のあの一言が
どれほど私の人生を支えてきたものか。
卒業後、彼の言うように
ないなら生み出せばいいのだと
思えました。
描きたいドラマ(時代劇)の脚本を
書くことにしました。
史実を
しっかり理解しておく必要もあったので
貸出厳禁の重要資料を読み漁りに
図書館に通いつめました。
シナリオ自体は、
コンクールにもひっかからずでしたが
あの時の知識も、その時代の背景やら、
その時代に生きた人物の気持ちを
その立場から想像したこと等々は
一切ムダではなかった。
後々、
まさしく私が描きたかった歴史の一幕が
絡んでる大河ドラマと関わることに
なったのだから。
当時、
福島局で自分の右に出るものはいないって
くらいめちゃめちゃ詳しい人になってて
それを強みに仕事に反映させられました。
私の人生のキーパーソンですよ。
けど、あの時話したのが最後。
本当にたまたま会って、話したもので。
普段から
ものすごく仲良くしていたという人
じゃなく、
同じサークルの同期という距離感の。
サークルの中でも
コアメンバーじゃないから
卒業後も全く消息を知らないんです…。
不思議な。
まるで風の又三郎みたいなその人に
どこかで見てくれているかもしれないから、「ありがとう」を伝えたい。